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織物の名は?
どのくらいの時間が経ったことでしょう。その手の動き、指の運びは、見て飽きもせず、ひとの限界を超えているように思えてきます。どのように繊細かつ大胆であるか、あるいはどのようにおおらかで、じつは巧みであるか、どのように気高くまた謙虚であるか、どのように誠実もしくは邪悪であるか、どのような秩序と混沌のなかにあるかといった、相反することがらの均衡や応力。自然の現象に限りなく近づこうとするものでしょうか。
 
その遠くを見るような表情は、糸掛けから始まって、機から外す今このときに、その来し方を思ったりもするのでしょうか。日の出から日の入りまでに織ることのできる長さといったら、蟻の道程にも満たない距離です。ひとつ確かなことは、手をかけた分だけ前へ進むということ。前へ進むということは時間を移動しているということ。それは生きているということ。この人たちの境地はそういったことなのでしょうか。
 
この美しい織物を訪ねてはるばるきたけれど、もう二度と目にすることはないのかもしれない。そう思ったときに、自分の吸ったり吐いたりする息が次第に大きく聞こえてきました。いったいどんな人のために織られるのかしら? 織り師たちは一生のうちに何枚を織り上げるのかしら? せめてなんという織物かは記憶に留めたくて、「織物の名は?」と聞けば織り師は「Jamdani」と答えます。「ジャムダニ?」と私は繰り返してみました。「right」。 
 
さて、名前を知ってしまったからには縁を起したいと思うのが人情でしょう。今、もしも、私がこの人たちに注文したなら、いつの日か織り上がって私のもとへやってくる。いつの日か……明日のことなどかわからない世の中にあって、未来への楽しみを抱きながら過ごすひとつの方法かもしれない。するとそれは子どものころに覚えのある、首筋にそって、ふわりと羽根でなぞられたような、くすぐったい感じが過ぎりました。