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たっぷりの氷で割ってもエッセンス
diary photo 植木鉢で育てているぶどうの樹の、蔓も葉も年々成長を遂げて、今年は去年よりも数多いふっくらとした房のカヴェルネ・ソーヴィニヨンが実った。
 ワインの品種として有名らしいが、そのまま食べている。ところどころ干からびてやや硬くなった粒など口に含めば、甘くて渋みがあってレーズン一歩手前の濃い味がする。粒は小さいけれど皮を噛んでいるといろんな香りを感じて、5粒も食べれば満足する。だから食後の果物として盛っておくには、我が家には2房もあれば十分だ。
 さて、残り3、4房のぶどうをどうしよう。ワインを作るにはちょっと少ない。ぶどう汁を作ってみようかしら。ぶどうの房から粒をはずして鍋に入れて煮た。皮が硬いのか、なかなか水分が出てこないので、小さじ1杯の砂糖を振ってみた。じわじわと赤紫の汁が出てきて、10分煮たらまるでボルドーワインみたい。
 皮を絞って濾して一滴残らずグラスに20ml. ずつ注いだ。たっぷりの氷で割ってもエッセンス …the harvest moon shone a rift in the shades. 酔うほどに濃い。

8月10日
diary photo 家の内で洋裁をしていると、外の世界が感染爆発してパニック状態にあるとは想像に難いほど平穏だ。真夏のうだる暑さの日々、もはや午前中から強烈な日差しであっても、頭はまだ澄みきっている、気がする。うちに、細かな部品をそろえてアイロンで整えてピンを打つ。
 午後も2時を過ぎると、朦朧としてきて、やっぱり昼寝をしなくちゃもたない。でもせっかくだから地縫いだけ終えようなどと、けち臭い考えで先を急いでしまう。今日はけっこう飛ばしたな、満足じゃ、と広げれば左右違えて袖をつけている。
 あーあ、ざっと仕付をかけてからにすればよかった。明日の朝は失敗した縫い糸を解いて、左右を間違えないように仮に置いて、仕付縫いをして本日午後の作業やり直し。昔私は、沢野ひとしさんに、「やり直しのお姉さん」と呼ばれていた。
 当時沢野さんとオフィスをシェアしていたデザイナーの樋口かすみさんの応接テーブルの片隅で、私は絵コンテを色鉛筆で仕上げてきて、編集の人と会議のたびに変更が出て、夜遅くまでやりなおしていたのを何度もじーっと見られていた。

8月20日
diary photo 今年は春からスエズ運河で船の座礁のニュースに始まって以降、天災人災の試練が矢継ぎ早にやってきた。人の心をつなぐ寄す処であるはずの言葉やメッセージも上滑りして実を結ばず、分断というより漂流しているよう。豪雨をもたらした暗雲の切れ間に薄明かりが差してきた。少し呼吸が楽になった気もするけれど、薄明かりじゃなくて煌めきが恋しい。
 航路を見失いそうになる不安のなかで、闇夜に瞬く灯台のライトは天の救いに映ることだろう。航海好きのヨーロッパで灯台は特別のモチーフなのだろうか。
 とくにフランスではオブジェや絵画、インテリアデコレーションとしても愛されて、旅する度にブリキの灯台を抱えて帰った。phareと綴り、灯台は導き手という意味も持つ。印刷された灯台の図面を切り抜いて作るキット絵本も見つけた。
 それぞれに実在の灯台の呼び名が付いていて、絵空事ではなくリアルな情熱を感じる夏の終わり、8という字は反転、七転び八起きの弾みの月が今、夜空に。