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星空と万華鏡のようで
 お正月になるとクインテッセンスのタペスリーを掛け替える。熊本での再開以来、ミラーワークシリーズを中央の壁に吊るして、今年で3枚目となる。
 ミラーワークの故郷はインドの北西、パキスタンのシンドに接するグジャラート州だ。地図を広げれば、アラビア海に口を開けた恐竜の頭のように海岸線がせり出している。その恐竜の上あごにあたる西北端の、昔のカッチ王国の首都ブジには夜行列車で朝着いて、平坦な道路を天と海と陸が接するところまで車で行った。
 途中にラバリ族の集落があり、古い民家に招かれた。過酷な暑さを遮るように、家はさながら土で固めたテントのよう。中は薄暗い洞だが、小さな扉を開ければ外の光が侵入してきて、白い壁に施されたレリーフと収納の凹み、一面に嵌め込んだコインのような鏡や、垂らした刺繍の幕、鮮やかな色の布団などに反射して星空と万華鏡のようである。インドの装飾は民族固有の伝統的な模様や色使いが、建築にも、室内にも、日用品にも、衣装にも余すところなく施されて意味をなす。diary photo 
 この一枚は、サリーやバッグなどに施されていたミラーワークの断片を寄せ集めて古いのもそう古くないのも纏めて再構築し、新しいまなざしの世界を提示する。
その手法は inspired by legend and everyday life 自分の仕事にとても似ている。
 土と鏡と刺繍が織りなす風景だ。

1月10日
 去年はちょっと気を張りすぎて、暮れに風邪をひき、新年は熱にうなされた。
 たくさん夢を見た。オーストラリア産の苔に紛れてきた謎の種が芽を出したのは我が家に起きた現実の話だが、その小さな草をじっと見ていたら突然火照り、キリキリと宙を舞う。お次は、白い紙の箱が床から次々に生え出てきて、目の前でスパッスパッと断層に分かれて静止し、SF映画の特殊効果みたいだった。diary photo
 熱から解放された3日目の朝は、さながら映画館を出てすぐのような恍惚状態にあった。その仮想的白昼夢みたいなフィーリングに限りなく近い世界がここにある。これはカラムカリと呼ばれる古い布である。ペルシャ語でカラムとはペン、カリとは仕事、つまり絵付けをした布をさす。その故郷はインド南部にあり、古よりペルシャに渡ったカラムカリ、東南アジアに渡った更紗、ペン画、木版あるいは両方を組み合わせて、呼び名も作風も変遷していった。もとは寺院に奉納するために神画や叙事詩が描かれていたそうだ。
 天を射んばかりの躍動感を中央に、左右対称の構図を木版を用いてきっちりと、と言いたいところだが、どれも細部が微妙に違っており、つじつまは手描きで補ってあり、などと創意工夫の跡をたどる旅路もまた、めでたきかな。
 自由でおおらかな世界を願って、酉年の縁起となりますよう。

1月20日
 世間の祝賀ムードとは対照的に、寒くて暗くて陰鬱な曇天の続いた今年の冬にそろそろ飽きて、いつもの冬はどうしていたっけね、と。そうそう、春の旅の計画で頭のなかは一杯だったよ。旅の記憶はいったいに漠然としてあいまいなのに、いざ一枚の写真を見れば、あの日の温度、湿度、空の高さ、日差しの体感がまざまざとよみがえる。ヴィジュアルはすごい。
 インドのラジャスタン州、ジャイプールからランタンボアの国立公園にあるホテルに向かう道すがら、過ぎる家々を車の窓に張り付くようにして眺めていた。どの家も、土と砂の混じった壁をベンガラで染めて、その上から絵というか、図版というか、ありとあらゆる造形が石灰で描かれている。
 なんというセンスだ。おとぎの国に迷い込んでしまったのか。いったいどんな人が住んでいらっしゃるのだろう。小さな村の小さな家々が、どこもかしこもこのような楽しい装飾で埋め尽くされていた。diary photo
 昔から陸を伝って東から西から、英国人も仏国人も伊国人も、アーティストも商人も、人々はひっきりなしに往き交ってきた。
 こういった異国のセンスに心奪われ、身体や心の奥で眠っていた魂が叩き起こされて、うち震える。くる日もくる日も旅を続けて、うち震えては床に就き、やがてそれらは降り重なって地層のように、いったいに曖昧になってゆく。が、旅を終えて家に戻った後に、深い井戸の底からこんこんと湧き出るようなアイデアの泉。
 泉が枯渇しそうになると、画家も音楽家も作家も詩人も、また旅に出る。