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なぜかいつもより幸せに感じている
diary photo
 今年はどんな年になるのだろうかと、年が明けるたびに思う。けれど、今年はいよいよ何が起きてもおかしくないという状況が差し迫った気がする。
 かの英国から脱出してきた友だちと、去年の暮れにもそんなことを話していた。考えても埒が明かない問題が世の不機嫌を生んでいるねと。まあ、来年のことは鬼に任せて、これから暗い冬の間に、請け負ったものを作って静かに暮らすんだと。そして、そうできることが、なぜかいつもより幸せに感じていると話していた。寒さが厳しい季節になると、背中を丸めて手仕事に向かう彼女の姿が、そばに佇む猫の後姿に重なって、安らぎがジワッと伝わってくる。
 ちょうど今ごろ、砂漠地帯のホテルの庭に咲いていた赤い花。寒くて乾いてひからびた空気のなかで …across the desert, discover the red puffs. 瑞々しい花を目にすることなどめったにないから、ひときわ感動する。なんていう花なんだろう。

わたくしが山道を持参致しますから
diary photo  30年ほど前に仕事で出会ったホテルの支配人のN氏はおそらく世界に名だたるホテルのどの支配人にも引けを取らぬほど、宿泊客に滞在の忘れがたい思い出を作ってあげることに心を砕いていた。
 そういうかたと一緒にホテル学の旅をして、着任するホテルのために一緒にプランを練った経験は、今も心の奥でダイヤモンドの輝きを放つ。
 ひとは人生の大半を辛くて恥ずかしい場面ばかりが占めるように感じる時もあるけれど、だからこそ、誰かが自分を大切にもてなしてくれる心の機微に触れ、より多くのよろこびを感じられる。
 あるとき、もしも滞在客が裏山を散策しているときに、お昼になってしまったらどうしようかという仮定の話になった。はい、そのときはバスケットにお弁当を詰めて、わたくしが山道を持参致しますからと、満面の笑みで答えた。そうした些細なアクシデントは彼にとって、自分のキャリアを発揮するまたとない機会なのだろう。いいなあ。想定外のひとときをよろこびに変える術を磨く人たちがいる。
 遥か遠く日本を離れて滞在するホテルの日々のとある昼下がり、前夜ランドリーに出したカジュアルシャツが、バスケットのなかに白いリネンに覆われて、ボウタイ付けて畳まれて、ちょっと照れくさそうに顔を出した。あ、微笑んでる。

着たきり雀になってしまいそう
diary photo  今年は暖冬らしいが、いつもの冬ならば熊本は、2月の終わり頃までは、冷たい風にからだの熱を全部持っていかれるような厳しさが数日残る。
 一昨年の冬だったかしら、ある極寒の朝、寒さには木綿の下着ではなくメリノウールが暖かくていいらしいよ、と登山家のアドバイスを話題にしていたのは。木綿は汗を吸い取るけれど乾きが遅いので肌が冷える。それに比べて毛一本の組織は鱗状のスケールによって湿気を逃がす作用があるために、体温を奪われないという。
 お説ごもっとも、ではメリノウールの下着を買いにゆきましょうよ、とその数十分後に私たちは山用品店に車をとめていた。タイツと長袖のシャツと靴下を二人で購入するつもりだったけれど、私は長袖シャツの購入は保留にした。メリノウールでなくともカシミヤならばもっと柔らかくて暖かいのではないかとひらめいて。
 昔、ヨーロッパを旅しては買い集めたまま、袖を通していなかったカシミヤの薄手のセーターを思い出し、衣装箱の底から出した。それを下着にする発想はなかったので、おそるおそる肌身に付てみるや、驚きをもって知るカシミヤ本来の使い道とその神髄。気持ちよさに口角上がったまま、着たきり雀になってしまいそう。