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お屋敷に縁起物として贈っていた
diary photo まだ中目黒に住んでいた数年前、帰郷の折に熊本の父からシノブを分けてもらって、夫はそれをテラスで育てていた。木漏れ日と雨の半分降り掛かる軒下のあんばいが心地よかったらしく、風情のある盆栽に育っていた。なのに私たちが熊本へ引っ越してくる時には、うっかり置き忘れてきた。
 一昨年の震災の後、実家に唯一残った大きな庭石にへばりついたままひからびたシノブを見つけた。大切に育てていた父の在りし日々を偲んで、夫は茎根をはがして持ち帰り、根気よく世話を続けてついに猫の指みたいな銀毛の新芽を出した。
 古来より観賞用に愛されてきたという。シノブ玉や、それに風鈴を下げた吊りシノブの涼しげな姿は夏の風物詩にもなっている。これらはその昔、庭師が、山へ入ったときにシノブを採ってきて、そのように愛らしいデコレーションをこしらえて夏に得意先のお屋敷に縁起物として贈っていたのがはじまりらしい。
 シノブは忍という字をあてた和名で、乾燥に弊えてしまったかに見えても、水をあげればまた甦る。かように耐え忍ぶ性質が強い endure through huge changes
それが名の由来という。まさしく今どきの私たちに必要とされる能かな。

1月10日
diary photo
 七草が終わったら、すぐに鏡餅の心配をする。かつて重ねた餅の間にカビの生えなかったことはない。もったいないことではあるけれど、今年もカビが部屋に舞わないうちにと、リビングに供えた鏡餅を密封して早々に捨てる準備をした。
 あ、もうひとつ忘れてはいけないと、クインテッセンスの鏡餅を下げに行ったところ、カビが全く発生していなかった。思い返せば暮れに供えて、正月から松の内は閉館していた。暖房も調理の湯気も人の気もないので、真冬の木造家屋の北側は冷蔵庫のようなものだ。それにしてもこの綺麗さは、よほど霊験あらたかなのかしらと、眺めているうちに有り難い気持ちになった。これなら鏡開きができる。
 次の朝、ふたりで鏡餅を前に、どうだろうこの堅さったら、中心に水分が残っているのがかえって難儀だわいと腕を組む。しまいには鑿と金槌でこじ開けるようにして、みごと鏡を開きました。調理しやすいように手で細かくほぐして、汁粉でもみぞれ和えでも後の楽しみにとっておくとして、 まずは煎餅を。オーブンを摂氏160度に温めて、10分、15分と弾ける様子を観察した。20分待って、狐色に香ばしく焼けるのを見届けて、さっと醤油にくぐらせて冷ませば、乙な味がする。
 歳神のパワーが宿るといわれる鏡餅、これこそがスーパーフードでしょう。

1月20日
diary photo  壁にはしごを掛けてみた。ただそれだけのことなのに見慣れた空間が不意に、いつか見たことのある絵のなかに迷い込んだかのような錯誤をおぼえる。その絵が何だったか、誰の絵か、詳しいことは思い出せない。
 ジャズフェスティバルのポスターだったかもしれないし、あるいは絵ではなく写真だったかもしれない。星空のもと、ぽつんと白い家があり、外壁にはしごをかけた風景を細密に描いたものだった。
 まるで空に昇るためにあるかのように私が捉えたはしごの印象の強烈だったこと。はしごを前にしたら誰しも昇ってみたくなる。一段ごとに天井が迫ってくる感じも容易に想像できるし、上りきった先にはきっと、空に続く窓があって、手を伸ばせば雲をつかむことさえたやすいだろう。
 そこにあるだけで、見晴らしの良さを手にしたような気持ちになれる竹製のはしご。これはあくまで空想世界のオブジェだから、実際に人が昇るには華奢すぎて。
 かわりに羽衣のように薄い、複雑な文様を織りなすストールと、その昔、駱駝の首を飾っていたという、浜辺の巻貝と毛玉で作られたタッセルも掛けてみた。
 光を受けて、風を遮って、人の気配を感じてはゆらめく。人の手で紡いだり拵えたものには時間がぎゅっと凝縮されていて、新しさや古さに関係なく、向こう側とこちら側の世界をいとも簡単に行ったり来たりできるのだろう。