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やっぱり熊本がいいですか

 私は今熊本にいる。3年前の12月はまだ東京のイルミネーションの中にいた。11月を早足で過ぎゆく街はクリスマスを待ちわびるように音楽に包まれて木々は光で縁取られる。華やかな高層ホテルが建ち並ぶ副都心の新宿パークタワーで、私は暮らしに関するリビングデザインセミナーの講師をしてきた。その初回は20年も前に遡る。受講された人たちのなかには、その後も時々会ってお茶を飲んだり、電話や手紙を交わしてきた人も少なくなかったが、20年の歳月は、私も含めて親しい人たちの環境や状況に大きな変化をもたらした。東京にいる人、外国へ留学した人、故郷へ帰った人、移住した人、遠くへ旅立った人も…。
 そのうちの一人、Sayoさんは数年前からご主人と愛犬とともにカリフォルニアに移り住んでおられる。去年は貴重な帰郷の合間に私を訪ねてきてくださった。先日も休養中の帰郷先から電話がかかってきて、いきなり「やっぱり熊本がいいですか」と質問された。「そうねえ、私は東京でも熊本でもアメリカでもインドでもいいの、自分のいる場所だったら」と答えた。すると、意を得たかのように「そうですよねっ」とSayoさんの弾んだ声が聞こえて、そこで私もほっと心安らいだ。
diary photo  地理的な距離も心の距離も一気に吹っ飛んで、女学生に戻った気分だった。今度の帰る時のお土産リクエストは? と聞かれても、私のウィッシュリストはいつもいっぱいで困ると。それでもアメリカでしか手に入らないすてきなものの話題やら、最近心に響いたスコットランドの画家の言葉を伝えたり、熊本へ来たら連れてゆきたいスポットのあちこちなど目白押しに。Sayoさんは最近ピラティスを始めたらしく、さらには中医のお世話になるための道案内など、とめどなくしゃべり続けた。
 「あら、あなたの声がどんどん小さくなっていく、楽しい話の真っ最中になんですけど、私は電話の子機を屋外のデッキへ持ち出してお話し聞いてるのね、その電池がもう切れそうなの。どうしよう」と早口になったら、遠くで「またアメリカへ戻る前にお電話しますので」「こちらからしましょうか」「いえ、こちらから」と言ってるうちにほとんど聞き取れなくなった。
 まだ声の余韻の残る受話器を握りしめ、なぜに彼女はそれを私に問うたか‥に思いを馳せ、返した自分の答えの行くてを見据えて、そうだよね、と。しばらく会わないうちに、すり切れたりほころびたりしていたかもしれない互いの気持ちを繕うような対話だった。そこにほとばしる生気とでもいおうか、波動を感じた。予期せぬ角度からインスパイアされて心が押し広げられ 'Hello world!' と、私は再びメッセージを出そう。とある日、心に記したこと。とある日、心に響いたことを。

1月10日

 引っ越しをする前には本を整理する余裕もなくなり、段ボール詰めでずっと堆積したままだった。そろそろ少しずつ分類しようと朝から取りかかった。本を分類する時は、紙一枚でもめくって中身を読んではならない。表紙を見て、内容をしかるべきグループにまとめるのが鉄則で、いよいよもって時間を有効に使わねばならない時がきたのだ。
 ところが猫の絵の装丁を見つけたとたんに、あれっ、と誘惑に駆られて、ちょっとした弾みで表紙を開けて数ページをぱらりとめくってしまった。すると60年代の懐かしいファッションイラストに遭遇して、風刺漫画みたいな瀟洒なスケッチが流行していた青春の頃が懐かしくもあり、かすれた鉛筆のそこかしこの走り書きなども気になって。…服は人を雄弁に物語る。それは自分が今生きているこの世界に感じている気分と眼差しなのだ…まさしく60’sの進取の気性はこんなだった。
 いよいよ気になる。今度はその先の記事も目を通さずにはいられず、携帯電話に備わっている英和辞典をひきながら読み進んだ。気がつけばもう昼近し。午前中かかって解読した成果は、さきほどの一節を裏打ちするような数頁だった。はたして時間の無駄だったろうか。
diary photo 2 自分の持っている本はどれも、かつて読み終えて閉じたはず。それをもう一度開こうとする機会が一生のなかで何度訪れるだろうか。予期せず開いたページは今の気持ちにぴったり寄り添う内容だった。そうそう、それが服を着る根源だよねと。あの時「オックスフォードのシャツでなくちゃ」と生地を固有の名前で口にした自分の十代は、すでにひとつの流行が世界を駆け巡っていたことにはっとした。
 もはや忘れそうなことをこんな偶然の力によって、心に染み入るのに充分な経験も積んで、また真新しい気持ちに呼び戻される。これが本という、めくる仕掛けの紙の魔力なんだ。

    
1月20日

 今、私の心はハイランド(高原)カルチャーに傾きはじめた。熊本は阿蘇のカルデラを中心にぐるりと山に囲まれており、南外輪山の準高原地帯は9万年前の噴火による火砕流の堆積で形成された標高約300〜900mの緩やかに波打つ台地が続く。  冒頭の写真は、その高原にある山都町で、10月の八朔に山車として引き回される造りもののひとつだが、山から木の皮や松ぼっくり、蔦や苔、木の枝、実、すすきの穂などを拾い集めて、一年がかりでみんなで制作するのだそうだ。
 20年ほど前に父に連れられて行った時は、矢部という地名だった。これを初めて見た時の感動は今も忘れがたい。そびえ立つ骨組の表面はおびただしい数の小さなひなびた素材で覆いつくされる。空想の動物や人形もダイナミックなんだけどおどろおどろしさはなく、むしろ愛嬌があった。当時パリで活躍していたプリザーブドフラワーの作家クリスチャン•トルチュや、巨大な鉄の骨組みのパピー(子犬)に種々の花々を植えて刈り込んだトピアリー彫刻で知られるアメリカの美術家ジェフ•クーンズのコンセプトを彷彿させた。
 山車の引き回される道は、小さな商店がひしめく軒下を美しい水が流れ、みな慎ましやかに上品に暮らしている様子がうかがえた。祭囃子で練り歩く人や道行く人々の顔も、とくに老人たちがきりっとしてハンサムだったと心に残っている。
 ちょうど去年も寒い日々が続いた1月の終わり、温泉へ行った帰りに立ち寄った市場で、試しに買ってみた山都町のお茶がとても美味しかった。ダージリンティーや中国高山茶などに共通する蒸留されたような澄んだ香りと深い味わいだった。やっと巡り合った。これを今日から我が家のお茶にしよう。