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頂いちゃったものを飲まないわけには
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 世の中に対するものの見方や考え方を変えたパンデミック。大きなことも些細なことも「ご破算で願いましてはー」の2020年が過ぎてなお「コロナに負けてなるもんか!」と、まるで戦闘を鼓舞するような声がそこかしこから聞こえてくるのは意外だった。えっ、勝ち負けの問題なの?と。そう見るならば分が悪すぎるなあ。
 自由な活動を奪われたり、移動を制限されたりするのは、そういうことじゃないのかしら? 無理を通せば、無茶のしわ寄せで困る人たちがたくさん出てきます。
 我が家では「自然現象には逆らわず流れのままに、なるべくならコロナと目を合わせないよう、大人しくしていようよ」と話したのが、思えば去年の春だった。
 さらに今年は正月の過ごし方も見直して新しい試みを。おせちは? いらない。ポテなど作ってあったまろう。お酒は? 頂いちゃったものを飲まないわけには。かつて華やかだった場面が色褪せて見え、古びたしくみが崩れてゆき、the order is out of order, made up excuses are default… 実質的なものごとが残った。

1月10日
 おとどしの夏から月に1度のセミナーを始めた。大勢を前に話すのは難しい。10人までくらいならばできるかも、と引き受けた。以前は実践的なことをテーマにしていたけれど、今は余計なことをしない暮らしかたに重きを置く話をしている。
 長期のビジョンなど考えられなくて、今日を明日を少しでも楽に暮らすための話を聞きたいと、主催者が、今どういう煩雑を解消したいか、今知りたい最先端の考えかたなどと投げかける問題をもとに考えている。diary photo
 セミナーにいらっしゃる人たちより少し多くの経験で以って、このように考えてみらどうでしょう?と話を組み立ててテーマはSNS上に告知している。一昨年の春から、どのような形で安全に開催するかといったことも私たちの問題になり、最初のパンデミックの前後は中止した。
 対面シールドが限界になって、徐々にリモートでZoomを介するようになると、人数は関係ないので、以前東京でリビングデザインセミナーを受講していた人たちも参加してこられる。今月末は正月の福茶会をオンラインセミナーで催すことに。
 然り而して至福のサプライズを拵えましょうか。

1月20日
 スティーヴィー・ワンダーの「心の愛」という1984年の名曲に…誰かにあげるチョコレートのかかったハートのキャンディもなく、春の初まりもなく、うたわれる歌もない、じつのところ、これがごく普通の日々なんだ…という一節がある。diary photo
 これはまさに今の世の人々の気持ちを言い得ているようではないかと思って聴き入れば…ただひと言、愛を伝えるために電話する…しみじみとおごそかな救いの手が差し伸べられる。
 時々、私の声が聞きたいとSkypeでの会話を催促してくる友がいて、パソコンのモニターに向かって話をする。メールやチャットでなく、相手の声、自分の声、互いの心揺らすさざ波を確かめ合いながら、たわいのない話をちょっとだけする。ほんのちょっとだけでものすごく満足してしまう。
 それほどに声や息遣いに触れるだけで、互いのエネルギーを交換しているような実感が湧く。とくにこの頃は、人が近くにいるだけで、その気配に以前にも増して敏感になってきた気がする。ましてや声、ましてや言葉、通信を断ってもしばらくは、そのひとの残響音が頭の中で奏で続ける…屋根の上の赤い花びら。