- ちいさくとも鮮烈な印象を残す
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美味しいチョコレートが食べたいな。ときどきそういった衝動にかられる。かつて、チョコレートが、さながら芸術品のような存在だと感じたきっかけはパリのモンパルナス近くの Rue vavin の小さな店 Jean - Paul Hevin 。そこに並ぶ宝石のようなショコラは形も味も香りもとろけそうな衝撃だった。パリへの旅の折にはあしげく通った。それから10年後、渋谷宇田川町に「テオブロマ」というショコラティエができた。折に触れてそのチョコレートを買いに走った。とくに渡航先では大切な人への手土産に喜ばれ、ちいさくとも鮮烈な印象を残すという恩恵に浴した。
今でも手持ちが少なくなるたびに、ふと思い出したように新作を冒険してみる。カカオのストレートな味と香りのきわだつシンプルな板チョコ、このごろの傑作はフェアトレードの冬季限定ウィンターチョコレートとカーサ・モリミのIL MODICANO-EXTRA 75だ。不意の来客に板チョコを少し分け合って、「あ、美味しい」と言われると If she could see how I feel... こころの距離がぐっと縮まる気がする。
そしてふたたび、新たな境地を求めてチョコレート探しの冒険は続く。
- 7月10日
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2016年の6月半ばから7月末まで、東京渋谷文化村のザ・ミュジアムで「西洋更紗 トワル・ド・ジュイ」展が開かれた。当時は熊本地震の後始末に追われるさなか、あの人の厚意で図録が送られてきた。インド渡来の綿に木版文様の更紗を求める18世紀フランスでの熱狂ぶりに、創業者オーベルカンプがベルサイユ郊外のジュイ村に工場をつくり、更紗を自国で生産する技術の歴史が描かれていた。
室町時代の日本へもオランダやポルトガルの商船によってもたらされると、江戸期の大名や文人たちは「古渡り更紗」の名物布に心酔した。裂地帖や仕覆に仕立てたものが豊富に紹介されている。
終章はレオナード・フジタの絵画にも登場するジュイの布をたくさん集めていた部屋の様子や、英国のウィリアム・モリスに深く影響を与えた解説が面白かった。
今や表紙の色褪せて、パリでトワル・ド・ジュイのコレクターの店で見た布に似てきた。それは後にインドで更紗を訪ねる指標になった気がする。裏表紙にはローブ・ア・ラングレーズ。魅惑的な英国式ドレスの後ろ姿を見返すたび心熱くなる。
- 7月20日
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コンチキチン、コンチキチン、おっとりと雅な祇園祭のお囃子が聞こえる。京都の染色家が近所の様子をSNSにアップされていた。ふと、山鉾の側面を飾る孔雀の緞帳に目がとまる。いつぞや、祇園祭のルーツはインドにありと聞いたけれど、まさにインドの孔雀が...。
インドの南東部に位置するオディシャ州プーリで毎年6~7月に行われる「ラタ・ヤットラ」はインド最大級の祭りだ。ふだん一般の人は入ることのできないヒンドゥ寺院に祀られている3兄妹の神らが外に出て、自分たちのために建てられた寺へと移動するいわば里帰り。壮大に飾られた3台の山車で数日間にわたって町中を引いて歩く様子は、コンチキチンによく似た鐘の音に包まれて、多くの人々が年に一度の神様を身近に感じられる。その様子ときたら、夏の暑さと人々の熱気が暗い夜を華やかに灯し、まるで祇園の町の山鉾巡行に重なって。
ラタとは山車のこと、ヤットラは馬車の旅を意味するらしい。インドでカンタを集めたとき、この引き車は何かと問うたらロトだと教えられた。あ、そう...ロトはラタに同じことなのだった。