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ガラスの向こうに
白亜の館は忽然と姿を見せました。その瀟洒なたたずまいとはまるで似つかわしくない喧噪の路沿いに。え、まさかこれが、そうなの? と横を向いて身構えるや、車は向きを変え、門衛のチェックを受けたのちに玄関へ到着しました。アプローチは、椰子の植え込みがロータリーをかたち作るこぢんまりとしたもので、すぐそこに地下パーキングへの侵入路が口を開けています。椰子と円柱に遮られて、通りすがりに館を垣間みただけでは、なかの様子はわからない。玄関に横付けされた車のなかで、ふと横を向けば、あ。視界は天国のような光景に一変します。ドアマンたちが車に駆け寄り両ドアを開け、荷物を降ろしはじめ……私はホテルの全貌を掴もうと、しばらく佇んで興奮を鎮めます。
 
ガラス越しの華やいた雰囲気は、広々としたロビーに煌めくシャンデリアのせいでした。両の扉が開くと、こぼれんばかりの花に迎えられます。大理石のフロアは絨毯で縁取ったアイランドに分けられ、それぞれに優雅なヴィクトリアンのソファや安楽椅子が据えてありました。ふと横を向けば、壁添いに古びたチーク色のカウンターが伸びており、レセプション、キャッシャー、コンセルジュなどの真鍮文字が小さく刻まれています。真夜中の到着客は私たちだけ……静かな歓迎の空気が漂って、ふわりと心安らぎます。
 
レセプションに名前を告げると、なんの手続きもなくカードキーが用意され、ねぎらいの言葉が返ってきました。ふと横を向けば、黒髪を小さくまとめあげた子鹿のような女性が控えています。導かれるままに回廊を歩いてゆくと、随所にコンソールがあり、深紅の薔薇の花びらに埋め尽くされた水盆が載っています。アーチに切り取られた絵のような中庭、プールのトルコ石色が水中照明によって闇に浮かびあがるさまは幻想的です。
 
階段を上がってホールへ着くと、ガラス越しに昔日の面影残るリフトが降りてきました。3人でちょうどよい、5人載れば身動きできないくらいの箱に籠れば、ドアが閉じたとたんにギュイーンと、けっこうな勢いで昇ります。ポンと鳴って、私たちは広がりへ出ました。厚い絨毯に靴の音は消え入り、寝静まった客室をお部屋係の女性の衣擦れの音だけがシュッシュと過ぎてゆきます。さて、女性は立ち止まって笑み「さあ、どうぞ」。誘い手に吸い込まれるように私、続いて伴侶。最後に女性がドアを静かに閉じました。