logo

この世でいちばん美しい綿織物
じつは、このときは心の準備もなにもできていなかったので、出国時に国外へ持ち出す書類が必要だということも知りませんでした。そういえば、以前タイに行ったとき、骨董品を買って帰るときは販売証明書が必要で、仏像などはそれがあっても税関に没収されることもあると聞いたことがあります。自分たちの伝統的な文化遺産を国外に流出させたくないという考えかたに向かいつつあるのは、ひとえに、これらの国々が経済的に豊かになってきたという証拠ですから、隣人として喜ぶべきことかもしれません。
 
しかし、いっぽうで私の心をとらえて放さない要因は、この大陸には古い工芸品が遺されているだけでなく、機会さえあれば、かつての技術を今に甦らせることのできる機織りや、中世の宮廷で身に纏う衣服の装飾に用いられた繊細な刺繍やアプリケを施す技術が、まだ受け継がれているのを知ってしまったことです。アジアの周辺諸国には、ひょっとしたら全世界のなかでも、今や見いだせなくなった、天竺の奇跡と呼べるでしょう。
 
機会があれば……なんとかその機会を作れないだろうか……と考えているうちに展覧会のことが頭に浮かびました。せっかく多くの人に見てもらえるのだから、なかには欲しいという人が現れるかもしれない。中世のパトロンみたいに気前よくはいかずとも、最初の機会が見いだせれば、細々とでも前へ進めることができるだろう、と。それに私は古いものを好むわけではなく、古いものにいい仕事が多くあるというだけの理由だから、新しくてそれに勝るとも劣らないものがあるなら、コンディションは良い方がいいのです。
 
この間見たジャムダニ……この世でいちばん美しいといわれるまぼろしの綿織物……19世紀半ばの記録によれば、白いモスリンに花模様のジャムダニは天竺の支配者たちや、デリー、ラックノウ、ネパール、そしてムリシダバドの太守たちに用いられていたとあります。英国のヴィクトリア&アルバートにコレクションされているような白地に白のジャムダニを注文して帰ろうと思いました。
そのことを告げると風さんは「あなたがたはどこの国のプリンスとプリンセスですか?」と大きな声で眼を丸くしてからかいます。
そのむかし、白地モスリンに白模様のジャムダニは高貴な人だけに許されたものでした。