- 暗がりのスパ体験
- 「最後のスパを体験しませんか?」私たちが支払いを終えると、風さんは受話器を片手に「さっきのゴルフクラブのなかにスパがあるのよ」と。「会員制だから私の名前で予約をしてあげる。これは私からのおごりよ。ホテルのスパとはまた違って、ちょっと治療的だけど」私はとても興味津々だったけど、返事をする前に伴侶の顔を覗くと「僕はやめとくよ。ひとりで行ってらっしゃいよ」と案の定の答えが返ってきました。「では、私ひとりお願いします」と伝えると風さんは頷いて、さっそく予約をしてくれました。
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- 荷造りも終わって、ドライバーが迎えにきました。段ボールを男たちが担いで車に乗せます。伴侶は別の車でホテルへ向かい、風さんのドライバーは私をゴルフクラブのスパへと連れてゆきました。着いたころ辺りはすっかり闇に包まれ、ほんの数本のすずらん灯が照らす小径を辿って、木造の二階建てのアパートのような建物の前で停止しました。「待ってるの?」と短い言葉で尋ねるとドライバーは二階を指差しながら頷きました。
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- 細い階段を上りドアを開けると薄暗がりによい香りが流れておりました。「風さんの」というと「こちらにサインを」と医学生みたいな眼鏡の男性がペンを差し出しました。担当の女性がやってきて籠を指差してここに服を脱ぐようにと指示します。英語はぜんぜん通じない様子で、少し不安も残りましたが、スパは熱くしたオイルを全身に叩き込むように激しい打音と、つむじから爪先までのマッサージを施す本格的なものでした。
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- とても気持ちがよかったので、別れるときに伴侶が持たせてくれた心付けを取り出し、担当の女性に渡しました。もうずっと暗がりのなかのできごと、女性は喜んで見送りに出てくれて、おぼつかない足取りで階段を下りると、ドライバーが待っていました。車は静かに滑るようにクラブを出ます。と、公道はあいかわらずチャンチャンと騒がさしく、自分はまだ夢のなかにいて、美顔術の効き目はどうかとコンパクトを開ければ、大勢の男たちの目がいっせいに鏡に映ってギョッ。振り向けば並走するトラックの荷台いっぱいに、男たちが束になって立って揺れ、振り落とされぬよう、みんなで手をつないで。
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- パチンとコンパクトを閉じてポケットに入れると指の先になにかが触れた……あれっ?