- 魔法の仕掛けという意味だそう
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エイプリルフールには気をつけて。いや最近では信じられないような出来事があちらこちらで起きるので、むしろ嘘であってくれればとさえ願うほどだけれど。
フランスではこの日をポワソンダブリル、四月の魚といって、魚のモチーフのお菓子が店頭を飾る。子どもたちは魚の絵を描いて切り抜いて背中へ貼付けるいたずらをして遊び、街行く人々が互いに微笑みを交わしては、エッもしやとばかり、ショウウインドウに自分の背中を映して確かめたりして、気が気ではない。フランスの四月の魚はこの時期によく釣れるサバのことらしいが。
四月の魚といえば私は太刀魚かな。熊本へ来てからよく見かける。幼い頃は太刀魚がよく食卓に上っていたっけ、と懐かしむ。クールでメタリック、まるで剣のように細長い魚は身が柔らかくて、煮付けにすると舌の上でとろけるようだ。
古今東西、魚は装飾のモチーフにも使われており、とくに陶磁器の絵付けに趣の深いものがある。このタイルの絵はインドのラジャスタン州ジャイプールにあるジャンタルマンタルという天文台で見つけた。
それはサンスクリット語で魔法の仕掛けという意味だそうで、その昔、天文学に造詣の深いマハラジャがペルシャやヨーロッパから書物を集めて構想してこしらえた。When the winds of changes shift. 魚も笑っているほうがすてきだ。
- 4月10日
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車窓から眺める道路脇の街路樹は、一斉に芽吹いているが、なんとなくいつもより小さめでたくさんのつぼみを付けており、枝先には5月頃に出るはずの新芽が早々と伸びてきている。今年の春の植物たちの微妙な変化は、やはり震災の影響ではないかと気にかかる。
いっぽう、変わらぬものは春風の匂い。目を閉じて、平安なひとときを味わうように深呼吸する。住まいのすぐそばを流れる小川の畔では、やっと桜のつぼみがほころんできたと思ったら、南から暖かく湿った風が流れてくるや、あっという間に満開となってしまった。
気まぐれな嵐がやって来る前にとでも急ぐのか、一斉の花びらをほころばせた桜のトンネルが、淡いピンクからひと雨ごとに色あせて雪のように変わって仕舞いゆくさまは、瞬きのように短いからこそゴージャスな感がある。
ああ、桜の花びらのように透ける白いシャツを早く着たい。かつてこれほど桜を待ちわびたことがあっただろうか。とろけそうな肌触りと、薄いカディコットンのゆらめきを風になびかせ、霞む花雲をくぐり抜けるように歩いてゆく。
- 4月20日
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熊本地震から一年たった。近隣の住宅地では、倒壊した家屋が一軒、また一軒と取り壊されてゆく。堆く積もった廃材やがれきは数日間、大きさや種類ごとに、人の手で分別されて、それそれの処分場へトラックで運ばれてゆく。時間はかかるけれど、それがいちばんよい方法だから、現場の人たちは黙々と淡々と続ける。
跡地に新しい家が建って、避難していた人たちが、新築の家に戻ってきて、暮らす明かりが窓辺に灯る。春から夏に向かってこの灯火がひとつ、またひとつ、と増えてゆくのを数えながら夕暮れを散歩する。
デッキで朝のコーヒーを飲んでいるときに気がついた。もうすぐ端午の節句なのだと。あ、鯉のぼりだ。あの家に男の子が生まれたんだねえ。赤ちゃんは希望だからね。よかったわね、と。
お向かいの屋根越しに薬玉が見えて、その下に風車がカラカラと回っている。雨の日はそれだけだが、晴れた朝には五色の吹き流しと緋鯉に真鯉、そしてひとまわり小さな鯉が空に泳ぐ。もう片方の竿には紋を染め抜いた旗がひるがえる。
これは頭をキャップにした、練り香を入れる伝統工芸の携帯容器である。銀の鱗に見える列が接合されており、そこが泳ぐように少しくねる。これをインドの宝石屋さんで初めて見た時には、よくできてるなあ、すごい細工だね、と感心した。すると、二度、三度と訪ねるごとにもう一匹、もう二匹と寄り集まってきた。