logo

なんとはなしに思わずほころび出て
 むし暑い朝、ジジッ、ジジジジジーッとクマゼミのほとばしるような合唱がはじまると、じわりと首筋に汗がにじんで、クインテッセンスのショウルームにしようと昭和の建物を改装した日々が蘇る。
 古くなったものを素敵に蘇らせるコツは、ぼろを覆い隠すのではなく、筋の良さを見極めてそれを生かすことだ。何に付けてもいえることだが、一見どうしようもないような物件でも、どこかしらいいところがあるものだ。
 かつては夫婦の住まいだったという、細切れの部屋のしきり壁や天井をすべて取り払ったら、昔の納屋大工の仕事だろうか、船底のような揺るぎない組みの柱や梁が表出した。構造に影響しない材を抜き取った後には、仕口やホゾの凹みが残る。そこに同じ材の同じような木目を選んで嵌め込む、つまり埋木を施してゆく。 diary photo
 我が工作連盟の手にかかると、埋木はまるで古傷を癒すバンドエイドのようで、もとあった古木を、なおいとおしく感じるような風情を帯びてきた。なんかいいんじゃない?
 ひとつ手を加えるにあたっても、絵になるか、って自問自答するのは完成度のことをさしているのだ。眺めや景色、浮いていないか、って言葉もなにかと出てくる。てらいを押さえて全体のバランスを優先させる心がけだ。
 それは古来より培ってきた日本の美意識が、 with a gentle heart, and good old tools too. なんとはなしに思わずほころび出てくるのだと思う。

8月10日
 台風の到来に備えて、そろそろデッキに吊るした寒冷紗の補修と、生い茂った庭木の枝払いをしておこうかしら。思い立ったが吉日とばかり、我が工作連盟のワークショップに道具を借りに行く。前もってこれから何をどうするっていう状況を説明しておけば、これが鋲、細手金槌、これは失敗した時の鋲抜きの道具、はい、枝切りばさみ、などと一式そろえて使い方の注意とともに手渡される。 diary photo
 戸を少し開けた入り口から、奥の棚にぎっしりとひしめくパーツやさまざまの道具、ボードに貼付けたスケッチなどをちらっと垣間見る。ひと昔前の大工道具から木工、金工、精密機械まで、およそ人の作る物なら何でも、というほどにふんだんの道具が暗がりの中から浮かび上がる。
 道具といえば思い出すのは老舗のブランドやブティックが建ち並ぶパリの右岸で見た光景だ。ひっそりと佇む古い建物の中庭では、ぐるりとちいさな工房がひしめきあう。ヴァイオリン、船の模型、靴、スクリーンプリントなどを制作している現場は心地良さそうに道具が配されて、人の聖域といった雰囲気漂う、ものを作る人の作業場をのぞかせてもらえたならば無上の喜びがわく。
 さながらここは秘密基地、石器時代よりの人類の進歩がぎっしり詰まっている。

8月20日
 暮らしの道具、材料、部品など、特定のものはウエブサイトで検索して国内外から取り寄せる。私たちは東京にいたときからそうだったから、どこに住んでも不便は感じない。道具に限らず我が家の必需品はおおかたが特定、つまり他に代え難いものだから、使い捨てることもない。ただ近頃は身辺のちいさな道具にも年季が入ってきて、故障したり摩耗したりすることしばしば。
 我が工作連盟が使っている道具には、すでに製造中止の品もあり、ときにはネット・オークションで中古の同一製品を手に入れて、そこから使える部品を抜き出して修理する、つまり、まるごと部品用にストックしておくというアイデアだ。 diary photo
 ある日、「この刃物は昔のほうが質がいいよね」「90年に工場を変えてるもの」「小さくて優秀な工場がどんどん無くなってきた」「そういうことを気にする人もいなくなったの?」「そんなことないよ。いつの時代も品質にこだわる人はいなくならない」と。
 今は需要と供給といった単純な問題では割り切れない、もっと複雑な事情が絡み合っているからややこしい。
 訊ねれば、飽くなき探求をしている人は老若男女問わずそこかしこにいて、道具を使って制作する様子も動画で発表しているし、見知らぬ相手でも一生懸命説明してくれるから、ある意味インターネットは本当に有り難い。今朝も届いたパッケージを手にしたときの胸の高鳴り…開けるたびに世界が広がってゆくようで。