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無患子と書いて子に患い無しという
 去年の夏に育て始めたヒマラヤ種のリタは、英語でソープナッツと呼ばれ、実はサポニン成分が豊富なことから洗剤として伝統的に使われてきた。日本にも大陸から伝来したムクロジなるものが、昔から神社や広いお屋敷などに植えられて人々の暮らしに添っていたそうだ。ムクロジは無患子と書いて子に患い無しという字を宛てた。熊本にもあるかな? 調べたら浄水寺という古寺にあることがわかった。 diary photo
 熊本へ来てから親しくなったご夫婦と、子どもたち3人とともにムクロジを採りに行った。古寺は去年の地震で石碑などが倒れてしまって痛々しかったが、ムクロジの木は威風堂々、すっくとそびえていた。寺を預かる人の話では、いつもより少ないという実の残りを採ってきた。黒い種は古来羽子板の羽根に使われてきたが、私たちは外側の殻が目当てだ。
 これを干して保存しておき、必要に応じて溶かして洗剤に使う。まさに浄水の名のごとし。
 これから子どもたちにその作り方と使い方を習得してもらうために一緒に来たのだが、あまりにも少なくて「不作の翌年はきっと豊作、来年に乞うご期待だね、今回はさしずめロケハン、そして実験しましょう」と言いながら石段を下りて、寺の名の由来でもあるわき水を見に行った。…learn to live with it. 通りすがりの人に、「ここは『幻の寺』と呼ばれ、起源は奈良時代にさかのぼるんだぞ」と教えられ、みんなの目が輝いた。

12月10日
 月の夜にワレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキーオーケストラを聴きに出た。契機は高校の大先輩にあたる故チェスキーナ洋子さんの功績を知った日…演奏家であり、クラシック音楽のパトロンとして、ゲルギエフとの交流は深く、熊本公演を4回も支援されており、今夜はチェスキーナ洋子メモリアルと題した会だった。
 そしてコンサートホールのある熊本県立劇場は、今年の初めに旧知の建築家とともに訪ねた美術館に同じく、前川國男さんの設計と知る…前川建築のなかで年の終わりにゲルギエフを聴く…これは行かねばなるまいね。
 さて何を着て行こう。カシミールショールとカディのドレスに、靴は英国の室内履…こんな靴を履く機会があるかしらと思っていたが、それが今夜だった。 diary photo
 最前列中央の席で…チャイコフスキーの弦楽セレナーデに始まるゲルギエフの今このときに見る老練の振る舞い、すべてが柔らかな明かりと雰囲気に包まれて、一期一会をかみしめる。
 続くデニス・マツーエフのピアノが登場すると、ピアノの脚ごしに臨む視界は、跳ねる奏者の足と腰だけを見つめながらラフマニノフのピアノ協奏曲第4番は終わった。最後はベルリオーズの「幻想」…今の状況にふさわしい。外へ出ると気温は3度…月がこうこうと輝き、耳元で鳴り止まない拍手…アンコールはバレエ組曲「火の鳥」より子守唄〜終曲まで夜の余韻に浸って。

12月20日
 今年を振り返れば熊本は震災後の建物の解体が絶えず続いて、上空から見るとずいぶんホコリっぽい一年ではなかったのかしら。目の前の家は全部取り壊されて来年には新しい家が建って、窓の景色はなにもかも様変わりしてしまうことだろう。
 私は今年いっぱいまでは動かないでじっとここにいますと決めていたので、やっと長い務めを終えて新しい局面に向かう支度をしたような充足をあじわっている。
 鉛色の空が続く日のお茶の時間に「津田晴美さまへ、お花のお届けです」と心なしかいつもより弾んだ宅配の声を機に、ふわりと華やいだ空気が入ってきた。
diary photo  思いがけず大きな箱。開けてみればすてきなシダーのスワッグとクールなRIGAUDのキャンドルの箱の組み合わせ。まだまだ続く長い冬の愉しみにキャンドルはとっておいて、新鮮なスワッグをどこに吊るそうかと部屋を見回した。玄関のドアの内側かキッチンの窓辺か、いやいや今の気持ちを景色にあらわすなら、ベッドルームを出てすぐのドアがいいのよね。
 夜のはじまるころに明かりが灯って、ぼーっと浮かぶ森のひとかかえ。「遠い昔が蘇るようないい気持ちになれました」と送り主にメッセージを出したけれど、いつも何か言い残して「明日からパリです」と飛び立つレディだから、もう東京にいないかもしれない。
 朝起きてベッドルームを出たところ、森の茂みへ誘うような香りに迎えられる。