- それを集めて連ねて首に掛けたのが
- 朝ご飯前にコーヒーを飲んでいると、東の窓から差し込む光に冴えるルビー、コーラル(珊瑚)、ジェード(翡翠)、エメラルド、アガット(瑪瑙)、アメジストにサファイア…。宝石の名前を歌うようにかぞえて、変わりゆく色を見つめる。
インドで見つけたキャンディーのような宝石の連なりは、むしろ天然の貴石とよぶにふさわしかった。なぜなら、不純物(宝石屋さんはインクルージョンとよぶ)がたくさん混じって、ひとつの石のなかに色の濃淡や曇りやひび割れが陰影を宿し、生き生きと輝いていた。
でも、これは宝石でも貴石でもない。
秋に唐辛子の大きくなれなかった実が枝の先に残る。その姿があまりに愛らしくて、夫が収穫のたびに摘んでは、糸で括って扉のノブに吊るしておいた。
最初は鮮やかな緑と赤の、いわゆるミニ唐辛子だったのに、日が経つにつれて乾燥してきて、このような表情豊かな色彩が生まれる。the precious color of peppers ripen, turn to inclusive shades of gems. 宝石をgemと綴る語源は花の蕾だという。幼い子どもたちがするように、それを集めて連ねて首に掛けたのがネックレスの始まりか。
この唐辛子の鎖は首にかけたらヒリヒリしそうでちょっと無理があるね。 - 11月10日
- 我が家は毎朝コーヒーを飲む。家にいても旅先でも、たとえどこにいようとも朝というのはコーヒーの香りそのものだ。昔、モカとかブルーマウンテンと呼ばれた豆を変遷したあげく、ヨーロッパを旅してからはコロンビア種のダークローストのフレンチコーヒー一辺倒になった。最近はフィルターを愛用しているけれど、ローマで飲んだエスプレッソも忘れがたい。
寒い朝。街の人たちが働きに出る前に、バールに寄ってカポッとひと口で飲み干すとろーりと滑らかな香りのしずくが喉を通るとき、それまでのエスプレッソの概念は変わった。小さくて本格的なエスプレッソマシーンを、80年代後半のマンハッタンにあったイタリアのキッチン道具店で見つけて買った。
それをこのたび、キッチンのカウンターにコーヒーミルと一緒に並べることにした。そのエスプレッソマシーンに粉を一杯分セットするときに、ぐっと圧縮するためのタンパーなるものが欲しいと、夫はずいぶん探していたが、イマイチ気に入った形がないから、自分で作るかなと。インドで見つけた陶器のノブに真鍮を切削して加工した。
ラクダの姿を見るなり私は、むかしアラブの国の偉いお坊さんが、と昔流行った「コーヒールンバ」を歌う。 - 11月20日
- またもやコロナ、夏のあたりはしばらく下火になったと思っていたら甘かった。アメリカの選挙に気を取られている隙に、世界中わーっと感染は広がっていた。
知人はこの地にそう多くないが、ひとりは修行に出た。こういうときだからひとりでいることの恐怖に打ち勝つための、車中泊のひとり旅をしている。もうひとりは出張の用があるけれど、既往症があるので都市部に行くのがとても怖いと言う。
私はといえば、この春からの常態に馴れてしまって、今までずっとやり過ごしてきたことなど、すこしずつ手を付けている。午前中は家のなかをととのえ、午後からは修理をしたり繕い物をして、手を動かすことを明るいうちに終え、夕ぐれどきには夕食を作る。
あと片付けしてる間に日はとっぷり暮れる。食後は文を書いたり調べ物をして静かに思考の作業をして、夜にコンピューターに向かっている仲間とチャットをしたりして夜更けまで。
ときどき買い物にも出かけるが、毎日のように届くe-ショッピングの箱はデッキのテーブルの上に置き配してくれるので、以前のように、届く時間帯に気を揉んで待つ必要もなくなった。
なんというか、ある意味、顧客の都合に添うように作られた苦肉のルールがもはや意味をなさなくなって、個々の仕事ベースで送れるようになってきたようだ。