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不安の雲間から光が射したとき
diary photo
 世界中の人々の心がざわついたあの時、その権限を委ねられた機関が英断をもって臨んでいたら、囲われた国あるいは州都の内側ではもう少し冷静沈着に対処できたかもしれず。感染者が出たら2週間、そして念のために2週間、周期のリズムでおよそひと月をみんなで我慢できたなら。手に負えないほどの悲惨な事態、あるいは洪水のような感染のひろがりを防ぐことができたかもしれない。けれど今さら。
 後から振り返ればものごとを俯瞰で眺められるのに、渦中にある時は呑み込まれてしまうのが人の宿命なのか。世紀の変わり目にパラダイムシフトという単語をグローバル化とセットで耳にした。それまで良しとされていたことが良くないとされるような劇的な社会通念の価値の変化と訳されるが、そんなに簡単に変わらない水底の、堆積した問題を置き去りにしたままはぐらかしてきたような。ところが。
 期せずして不都合な真実が暴かれ、今度こそ一人ひとりが身を以て、避けては通れないカオスを体験している。…we can’t bypassing anything going thorough.
 人類を覆う不安の雲間から光が射したとき、立ち現れるのはどんな世界だろう。

5月10日
diary photo  この鬱々とした人類の災禍をよそに、空気はますます澄み渡って煌めく日差しのもと植物たちは今を盛りに花を咲かせる。今年の春の花は絵のように美しく、いつも遠くに見えていた山の木々の間を辿る道までくっきりとわかってぐっと近くに感じる。
 我が家もついこの間まで色鮮やかな牡丹、そして今日からは純白の芍薬が清らかな大輪の花をぽっぽっと開きだした。そしてほんの七つ八つくらいではあるけれど花というか実と呼ぶのか種の入った小さなプロペラが「美峰もみじ」という名の珍しい黄色っぽい幹をした鉢植えの樹木の枝に咲いている。小さな生き物と見紛うばかりのその形態は、風に舞って遠くまで命の種を運ぶという役目を負って、あまりにも愛らしい彩りに目を見張る
 これを見たとき、かすかに希望の象徴を感じた。それから、人と長らく逢っていない挨拶のメールにも「来週を過ぎれば、世の中の感じがからっと変わるような気がしています」と書き出した。確信はないけれど、おとといの夜の月のしらじらしいほどの美しさや、星の瞬きを見上げると、世の中が一変する気がして。
 後から振り返ってまた、ああ、あの瞬間だったと思い出すのかなあ。

5月20日
diary photo  メディアはアフターコロナの世界はどうなるかという予測記事で賑わう。ひとつ二つと続けて読んで、う〜総論として憂うことはみな似たような視点なのか。
 多くの人がふだんの生活からいったん離れて、毎日起こるコトの一連の成り行きをこの数ヶ月間かけてじっくり定点観測する機会を得た。おかげで、ものの見方が変わってしまった。そのことが今後の変化を生む要因だと触れたものはなかった。
 そしてわかったことは、人の思惑よりものごとは単純で、恐怖で騒ぎたてる人たちが複雑にしているだけのこと。普通の人々の感覚を失わず地道に淡々と使命を果たし、結果を共有する日々の繰り返しが不安をゆるぎない関係に変えてゆく。
 世界のリーダーたちの行いは記憶され、非常事態における人格をあからさまに見せられ、いろいろの建前の虚構もすっかりばれてしまった。端的に言えば、この先起こりうる人類の問題を政治家では解決できないのではないかとう見解だ。さしあたっては、これからの個々人の身の処し方を心得るきっかけとなった。
 依存心を捨てて信頼関係を築く真摯な生きかたはいっそうたいせつになってくるのは確かだ。そろそろ白い花も終わるころ、今年の芍薬は小振りの純白をひとつ二つ咲かせて、あとの蕾は枯れた。夕がた、雨上がりの空に美しい虹がかかった。