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自然は美しさを呈するだけでなく
diary photo いつもの朝の食卓で「最近はめっきり笑いの少ない世の中になってしまったね」と話したのはつい最近だった。とりあえず今年のエイプリフールは場違いな風習になるだろう。エイプリフールは自粛の傾向にあってもフェイクニュースがはびこるから、あれはジョーク、ホラ吹きなのさ、なんて今や笑って許してもらるわけもない。ある人にとっては軽い気持ちが別の人にとっては命の危機にさらされる。
 そうやって少しずつ毎年いろんな概念が変わってゆく。今をまるでSF映画の中にいるようだという人もいる。観客であれば、自ら危険に身をさらす劇中人物の愚かなふるまいに眉をひそめるだろうに、当事者になると同じ間違いをしてしまう。
 東京人からの交信には、この前の3連休に10年ぶりにミシンをかけてリネンのカーテンを縫ったとあった。さて外出自粛の今日からは、部屋を整えることがとても心地よいと。今年の春は復活の苦しみ。だれもが努力して自ら正しい情報を取りにゆき、ひとりの小さな生活をどうやって守り抜けるかの試練という気がする。
 風に舞い散るいち面の花びら。♪in fact here's just another ordinary day …自然は美しさを呈するだけでなく、その振る舞いは示唆に富む。

4月10日
diary photo インドが全土を封鎖したニュースを知った。さすがに決断が早くてクールだねという間もなく、不使用の列車を隔離施設に充てる機転機知が意表をつく。現実受け入れ能力世界一ではなかろうかと感動する。
 こいう事態に立ち向かう持久戦とは、免疫力を蓄えて辛抱強く待つことですね。
 そんなある日、グジャラート州のニュースで、新型コロナウィルスの仮面よろしくトゲトゲのあるヘルメットをかぶった警官たちが、道ゆく人に外出自粛や人との距離を保つなどの、いつもとは違ったアピールで人々の注意を喚起している映像を見た。
 たくさんの言語と宗教と習慣と集落の集合体であるインドでは、一目見て分かりやすいということがもっとも重要で、いわばナマハゲみたいなものか。こんなときにと眉をひそめる人もいるけれど、悲愴な面持ちで鬱々としても何も解決しない。
 街のあちこちにある公共物もうさぎさんだったり、おさるだったり、一見動物園かと見まごうが、そうではなくて公園やクラブハウスの入り口に置かれたゴミ箱。
 インドの知人たちは、ちょっとつらそうな表情をしているとハッピーかどうか気使い、難題に直面しても首を傾げてオッケーって笑いかける。苦境には慣れてる。
 いつかの日かでなく、今このとき幸せであることが何より大事なのだ。

4月20日
diary photo 不要不急の外出を控えるようになって早3ヶ月が経つ。最後に仕事のために出かけた1月の冷たい雨の中、熊本マラソンを決行したとの放送を車中で聴いて気持ちがざわめいた。その夜夫が「今回の新型コロナウィルスは原因がはっきりせずに、何か隠しているみたいで対処のしようがないのが気持ち悪いんだけど、なんだかとんでもないことが起きるような気がする」と。
 ほどなくして熊本に一人目の感染者が出た。この頃になるとインターネットニュースでは世界中の感染状況に関する話題が出ない日はないほどだった。今から思えばそれでもまだ日本では早い段階に、いちばん適切と思われる情報を見つけた。
 今回のウィルスは感染力も症状の出方も従来とは異なる。人から感染しないための予防ではなくて「自分は感染しているが無症状なだけ」と思って、他人にうつさないようふるまいなさいという専門家からのアドバイスだった。意表をつくアイデアだが、こちらの意識は180度変わる。ならば人に会わないのが最善策だ。仕事はテレワークにして、アポイントは延期して、荷物の受け渡しは置き配にしてもらって、このくらいはいいかなどと弛みはなく日々決断、敢行しているけれど…。
 静かな毎日の始まり。いったい、私たちはどうなってしまうのか。