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目が覚めれば初めて見る世界におはよう
diary photo
 今は世の中がものすごい様相で変化していて、天変地異もさることながら、軌道を逸した人々の振る舞いや、露骨な世界のいざこざを次から次へとニュースで知るにつれて、どうやらすべてがコロナのせいではないかもって気がしてきた。
 「次章に入ったという幕間の現象ではあるけれど。まるで大きなうねりの中でこの世の不条理というものが一気に淘汰されてゆくような気がしてこない?」といった話をしていたら、「ご破算で願いましては…」と友は冗談まじりに。
 こういった浮動のうちに、みょうに平衡な精神状態を保っていられるのは、長い旅にでたときの覚悟のようなものだと思うが、私たちはしばらく忘れていた。どこから来ようがどこへ行こうが誰も自分の事など気にかけていない。そのとき見たもの、した事だけが運命を決める。目が覚めれば初めて見る世界におはよう。
 新しい一日を心配無用かつ油断大敵。ものごとはなるべくしてなってゆくのだ。リュックを下ろし、緩く撚った細い糸を緻密に織った軽やかな衣服を纏って歩いてみればいろんなものが透けて見え where are you from?, where are you going to? ask someone you meet. もはや外界との接し方も簡潔になってくる。

8月10日
 赤いバラが風に揺れる。ナーセリーで植木鉢に育てられた苗を買ってきて白いフェンスの根元に植えた。あれから5年、最初は大輪の花を咲かせたが、このごろは花の色は濃くなり、大きさは半分ほどだが、このほうが風情が感じられて好みだ。春夏秋冬、天然の陽射しと雨風と近隣の植物たちとの調和の恩恵よりほか、これといった肥料をあげた事がない。気にかけるのは水はけを良く葉の色つや良く。
diary photo  葉に虫がつくとすぐにクモが巣を張るので、花が咲いていても全体の佇まいがみすぼらしい。そんなときは花をちぎり捨て、傷んだ葉や枝を払い、エプソムソルトという硫酸マグネシウムの粉を周囲にほんの少し撒く。雨がふり地に染みてしばらくたつと赤い葉の芽が勢い出て、あれよあれよという間に濃い緑のつややかな葉になって茂る。ほんと、元気のない植物にも人にもミネラルってよく効く。そして枝先に蕾をぽっぽっと膨らませる。もうじき2人いらっしゃるのかしら。
 ウエルカムローズと勝手に名付けた赤いバラは、来客のある日には忠実に客の数だけ花を咲かせて迎える。まるでそれが自分の使命とでもいわんばかりに。

8月20日
 玄関ドアを開けるなり熱波に驚きをもって、オーブンの蓋を押し返すように閉じるこのごろ。目の前の通りを人がほとんど歩いていないのはウィルスのコロナだけでなく、100万度を超える高温のプラズマの太陽コロナの熱射の威力も更なり。我が家は東南北がいちめんの窓なので、すべてに麻のロールブラインドを垂らして遮光率は6、7割は保てるが、この夏の斜光と猛暑は凌げそうにない。
 私たちの住む世界はこのあとどうなってしまうんだろう。とりあえずこのぎらつきと息苦しさとエアコンの負荷を軽くするべく話し合った結果、部屋をもうひと工夫して断熱したほうが良いということになった。diary photo
 スタジオ撮影の遮光の技法を思い出しつつトレペ? 和紙? 黒ケント? そうだホームセンターで手に入る波段をロールで買ってきて窓とロールブラインドの間に差し込んでみようということに。暗い部屋って思考力が生まれるね。そうかな。夫曰く、将棋の世界では穴熊作戦というらしい。薄暗がりに窓の上辺から光が漏れると、昔の家のイメージってこんな感じだったなと。現代の家には庇がない。
 暑い国の知恵は夏の陽差しを遮るほどに庇を深く掛け、外から帰るとひんやりして、暗転した世界に目が慣れるまでしばらく身を置き、生きた心地を取り戻す。