logo

カシミール絨毯のある室内は
diary photo
 陰鬱な空が続いたかと思えば雲間から陽が差し、窓からの入射角度が目にまぶしくて仕事の手もとが落ち着かない。かと思えば春の嵐でもないだろうに夜のうちから突風が乱暴に窓を叩く。さながら毎年同じ冬が来て、穏やかな日差しに静けき雪の景色など心のどこかで期待するから、不規則な天候に恐れ戦く。年々変わる自然のふるまいがそこに住む人々の精神状態に影響を及ぼすこともあるのかしら。
 熊本にいながらにして想像する北の国は、寒く深い雪に閉ざされ不自由ではと、半ば同情的に考えがちだが、身辺暖かく備え迎える冬ごもりは、誰にも邪魔されず、ひたすら手しごとに集中できて心安らぐ瞑想期なのではなかろうか。
 ヒマラヤの麓のあの瀟洒な館に招かれたとき、窓越しの柔らかな冬の光を湛え、手の込んだ文様のある絨毯が厳しい環境に対比して優しい表情をしていた。
 織り結ばれた糸ひと色ずつを拾い出すようにクッションのパレットが並べられ… various shades and patterns, various ways in each thread ジャンムーカシミールにて、カシミール絨毯のある室内は、さながらその地の人々の心象風景だ。

2月10日
 このごろの、世を覆いはじめた不穏の雲間から、差してくる光のような心のよりどころ、むかし訪ねたカシミールの仕事をなぞって、LIFEに思いをめぐらせた。
 この色鮮やかな糸はtojiという棒に巻かれて、カシミールのKaniと呼ばれる希少なテクニックで織られようとしている。まず経糸を掛け終えたら緯糸が通され、伝統の文様をコードに記したタリムと呼ばれる譜面通りに糸を掬ってゆく。  diary photo
ひとつひとつの文様のそれぞれに使われる1色ずつの糸を連結しながら、まるで絨毯を織るように綴じてゆく。すべて綴じ終えてやっと一段、その一段はパシュミナの細い糸であるのを頭の中に描いてみれば、1日かけてわずか指1本分はかどるかどうか。いかにその生涯が根気を要するものであるかがわかるだろう。
 あまりの緻密さゆえに、昼間の均質な光の中でしか作業できないはずなのに、日の出から日の傾くまで没頭し、それゆえに、この仕事に従事するものは背骨が湾曲したり、早くに目を悪くすると聞く。辛い仕事を代々引き継ぐのは年々困難になってきて、いまやカニを織るアルチザンは2000人にも満たないという。
 さながら一縷の仕事とあやうい現実に、鮮やかで確かな技術の対比がまぶしい。

2月20日
 ヒマラヤの麓、ダル湖のほとりにたつホテルの庭で見つけたもの。朝もやが晴れるとともにそれはまるで妖精のように姿を現した。生け垣の片隅に建てられたこの小さな納屋はシェッドと呼ばれて、庭仕事にまつわる道具を収納したり鉢植物の世話や土の準備するための場所だ。小さなドアをくぐった先には苗木の剪定や土と肥料を混ぜる作業のためのテーブルがあって、床はほぼそれで占められる。
 くたびれたら腰をかけて休むための小さな椅子と、庭の道具や図鑑やお茶缶などが収納された白い棚は窓の下の壁際に薄く張り付いている。テーブルの脇には小さなやかんで湯を沸かすためのストーブも据えられ、疲れた足を長靴から解放してくつろいだり、そこから庭を眺めながら春の祭典を妄想したりもするのかしら。  diary photo
 ガラス窓を大きくとって見晴らしのいい造りのわりに、バラの蔓や大輪の花で覆われているあたりから察するに、もしかしたら広いお屋敷の見張り小屋としても使われているのかしら。わざわざこのような小さな箱のなかに大きな身体を押し込めて、猫のように丸まってくつろぐ見張り番の姿を想像するだけで愉快だ。
 外は寒くても中はもう春、春はうたた寝の心地よさ。