- お星さまキラキラ
ここには、厳しい寒さに向かう季節ならではの美しさがある。インクを流したような蒼い夜のしじまを、車で走り抜けてゆくと、不気味なくらいに星がたくさん見えてくる。もう、天から降ってくる感じ。
幼い頃、あれらを網で掬ってこの身に纏いたいと願った。お星さまキラキラ、金銀砂子と歌いながら。だから金や銀の輝きを思うときはいつも、昔仰ぎ見た星空が原風景としてあった。それは眩しい光ではなくて、ちらちら明滅する光束の差異。 それから成長するにつれて、キラキラ星のことはいつしか忘れてしまっていたようだ。だから初めてインドの宝石に出会ったとき、戯れに金の輝きを試してたら、ちょっと赤みがかった砂のような輝きが自分の気持ちにぐーっと寄り添ってくることに驚いた。
それを機に、小さく美しきものへの情熱は高まり、ルビーもいいな、パールもいいな、瑠璃や珊瑚もいいなと。出会いのたびに、宝石への先入観は打ち砕かれ、ひとつすつ開眼してゆくような体験だった。
身も心も解き放たれてゆくような色の妙と、あどけなさのある趣。
そういった要素が、いつしか座標となっているような気がしてならない。In the blue night, stir the stars, diamonds and sapphires together.このピアスを眺めていると、星のきらめきに囲まれるようで。- 11月10日
晴れた日の三日月は凛として夜空に優雅さを添える。聖母の伸びやかな眉にたとえられるクレッセントは、その弧の突端から糸をすっと垂らしたようなところに、ひときわ輝く星をいつもひき連れている。
あれが金星、宵の明星だ。きれいだな。何かに感動したら、それを言葉にして発するように、このごろは心がけている。きれいねえ、と夜空に向かってささやいてみれば、星がチカチカと瞬いて応えるではないか。
いつ、だれが、どこにいても同じ空を見つめて、たとえ言語は違っても、同じように心打たれて、ささやいているかと思うと、ふわーっと気が遠くなるような、不思議うれしい気持ちになる。ふふん、だれかが、今また、ささやいたようだ。
三日月と星の紋は私にとって、訪れたことのあるトルコの国旗が真っ先に目に浮かぶ。それもそのはず、かつてビザンチン帝国時代には、古代ギリシャの都市ビザンチウム、後のコンスタンチノープル、現在のイスタンブールのシンボルだったという説もある。
西洋の端っこ、東洋の入り口に位置して、どこか東方的な要素を含んだビザンチンの様式は、西洋の人たちにとっても、東洋の人たちにとっても、どちら側にも異国情緒を感じさせて心惹かれるのではなかろうか。
この三日月をかたどったピアスを見つめていると、その輝きはビザンチン美術の絢爛だけれど儚さを秘めたモザイク壁画に重なる。- 11月20日
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古典的なものの魅力は、いつの時代にも新たなものの見方に気づかされることだろう。17世紀オランダの画家フェルメールの作品は、女の人がミルクを注いだり、手紙を読んだり、楽器を弾いたりしているしぐさを魅力的に描いている。
世間からは風俗画と呼ばれているが、ありふれた日常のようでありながら、絶妙な表情の一瞬を捉えているところが斬新だ。小さな空間の、常に同じ方向から光が差し込み、窓や壁や床、背景に何度も登場する装飾や調度は、上質な空気を保つのに役立って、フレスコ壁画のようなやわらかさと厳かさとが漂う。
それもそのはず、最初は物語画家としての出発だったという。
フェルメールの室内風景に見る構図、光のあて方や色彩の効果、タピスリーの趣味や布のドレープの分量は、私にとって、インテリアのスタイリングをするときの、虎の巻だった。そしてこのごろはフェルメールの絵の中に描かれている女の人の身につけるアクセサリーが気になってしかたがない。
有名な真珠の耳飾りは、蒼いターバンを巻いた少女も、赤い帽子の女も、手紙を書く女も、同じものを身につけて、現実にはありえない。これは彼女達のものではなくて彼のコレクションにちがいないと。さらに、東方的な香りのする衣服も、なにから何まで折衷のフェルメールスタイルとでもいおうか、隔世の感がある。
なにしろ、オランダ船が長崎の出島などにやってきた時代の画家だもの。そう思えば、ほのぼのとして、ぐっと親しみがわいてくる。