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私の持っているシャツと同じプリントが

 渋谷 Bunkamura ザ・ミュージアムにて、先月末まで開催されていた「西洋更紗トワル・ド・ジュイ展」の知らせを、東京のお客様方より頂戴した。
 18世紀半ばから19世紀のヨーロッパは、航海による海外への進出と交易によって自国へもたらされた、異文化への好奇心に熱狂した時代だった。なかでも東洋の織物への関心は深く、産業の近代化とともに大衆に歓迎されて繁栄した。
 スコットランドのペイズリーという街では、カシミールショールの模造品の生産や、その文様だったペイズリーをもとにしたプリントの生地で有名になった。フランスではジュイ村がインドからもたらされた更紗プリント生産の中心となった。diary photo
 「私の持っているシャツと同じプリントが展示されていてびっくりしました」と感動された模様は、ムガール王朝の細密な木版を今に復刻させた更紗だった。それもそのはず、クインテッセンスでは、かつてインドとフランス、インドと英国、インドとオランダの間に花開いた文化の片鱗を伺わせるものを探し集めてきたから。
 懐古趣味でなく、そこに描かれている世界の鮮やかさに魅せられて。異国の文化に大衆が熱狂するほどの交流の歴史があってこそ生活芸術は生まれた。室町から江戸時代の古渡り更紗がそうだし、美しきものへの情熱は時空を超えて愛される。
 The sun, the moon, the stars and the earth…古い布をじっと見ていると昔の人の感受性が伝わって来る。
 展覧会を見終えたもうひとかたより、「知る」ことは、ちゃんとモノを愛することにつながるのだと思いましたと、私にしてみればこの上なき便りが届いた。

8月10日

 去年の晩秋にクインテッセンスを訪れてくれた小さな旅人は、そのときは8歳だったし、初対面だったのでママと一緒だった。今年の夏はきっとひとりで来るって言ってたのに、迎える私たちのほうが、震災の後の始末も手入れも遅々として進まない。そしてまだ余震もあって油断ならないし、彼が車の窓から興奮しながら連写していた熊本城も痛々しい姿になってしまった。
 すべてがままならない。でも、そんなこともあるし、ままならなさを噛み締めながら、くる日もくる日も淡々と、できる限りのことをして過ごすのも、こういう仕事ならではの修養のひとつなのだからと、近頃は思えるようになってきた。
 そんな日々のなか、彼のママから一枚の画像が送られて来た。 diary photo
 「熊本のショールームへ伺った後に学校で描いた絵があります。本人によると、あの空間からイメージしたそうです」とメッセージが添えられて。前回のドローイング(2016年2月1日掲載)にも増して、パワー全開の色彩に圧倒されると同時に彼の見た世界の新鮮さが興奮を誘う。
 インドで最初にKANTHA(カンタ)というベンガルの針仕事に出会ったときに覚えた感動がよみがえる。空に月、闇に星、地上を駆ける動物、水の中の魚…「私にはこう見えた!」と、指の先から生まれでるイメージ…人間の心の底にある原初の、表現する欲望みたいなものに直面したとき、自分のなかにも刻まれているその波長と同期して、エキサイティングとしか言いようのない感覚に包まれる。

8月20日

 夏の夜空にはたくさんの思い出が瞬く…初めてキャンプに行った中学生の夏、星空の砂浜で海に向かって座り、「生まれて最初に見たものは何?」とひとりずつ話した。みんなはそんなの覚えていないと言ったけれど、私にはくっきりと目に浮かんだ。「こうやって仰向けに見上げている自分がいて、夜の空のように暗い傘のなか、星はキラキラ輝いて、その下で白いうなじがゆらゆらと揺れてたの」。diary photo
 帰って後にそのことを母に話したら、私がまだ乳児の頃に、たしか忍さんという子守りのねえやさんを雇っていて、私を背負い日傘をさして遠くまでお使いに行ってもらっていた。まあ、そんなことを覚えているなんてと目を丸くした。
 昔の日傘は和紙を二重に張った竹の傘、藍か紫の内張のどこかに、小さな穴が開いていたのか、色糸掛けの幻惑かわからないけれど、星空のようだった。
 今夜も食事を終えると、月は窓の向こうに顔をのぞかせて夜空のもとに誘いだす。まるで照明器具のように明るいので明かりを消して、しばらく月の照らしてくれるものをなぞっているうちにはっとして…。
 もしや、今夜はあれほど待ちわびていた満月だろうかと。ならば、満月には梅干しの壷をデッキにだして、月の光を浴びせなくては。キュウリやラッキョウのピクルスもそうすることで、ふしぎなほど美味しくなる。
 震災の後、生家の裏庭で採れわずかの梅と紫蘇を、初めて自分で漬けてみた。申年の梅干しは薬と言われるように、周期が重なり何もかもが特別の思いする。