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残されものが意味するところ

 いよいよ2016年最後の月を迎える。年の初めにこのダイアリーを書き始めて、春には未曾有の大地震をたて続けに2回も体験した。
 このあいだ、広島からいらしたお客様に、熊本地震はどんな感じだったのかと尋ねられ、目前にあったボールペンやらクリップを箱の中に入れて、中身をフライパンであおるようなしぐさをして、直下型の地震はこんな感じでした、と伝えた。
 私は熊本へ引っ越してくる前に、東京においても東日本大震災の影響で大きな地震を体験しているので、今回は気持ちを強く持てたように思う。人の力ではどうしようもない天変地異と、その後の環境の変化は否応なしに受け入れざるをえない。そんな覚悟を迫られた。
 このごろになってやっと、思い出の詰まった多くのものを失ったと嘆くよりも、奇跡的に手元に残されものが意味するところを考えるようになった。それらが私に道を切り開いてくれるからだ。diary photo 
 どんなときもしなやかなものは強い。布はそれを象徴するものかもしれない。このスザニと呼ばれる刺繍の掛布も、幾多の難局をくぐり抜けて私のもとにやってきた。Be passionate about connecting people with etherial one on the planet.
 こういったものは数奇な運命の節目に、その美しさを見いだした人の情熱によって、今ここにあるのだとしか思えない。

12月10日

 このカンタと呼ばれるベンガル地方の刺し子の掛布は、白地のサリーに、藍と茜の2色だけで縫い取られている。インドのものは年代を特定するのがとても難しい、というよりも記録されている資料が少ないので、糸の種類や技術、とそこに描かれている当時の風物から年代を読み解くよりほかはない。
 大英帝国の影響色濃いチェスボードを中央にして、ロトと呼ばれる山車と、サーカスのような馬と人が描かれている。かなり古いものだが、広げてみたとたんにふわっと気持ちが優しくなるような描写に心奪われてしまった。diary photo
 かつて、インドの布展の会場にこれを展示して解説をしていたときに、ふと懐かしい人が現れた。20年も昔に同じ仕事場にいた女性だった。雑誌に載った私のインド旅行記を読み、このカンタの写真を切り抜いて、いつか自分でもこんなものを制作してみたいと、大切にしまっていたと話した。
 その後お母様の看取りをするために退職なさって、病室でただ時間が過ぎ行く日々に、こんな時こそカンタをと思い立ち、以来ひと針ずつ縫い取っていたそうだ。
 記事の写真はモノクロだったので、実物が展示されていると聞いて足を運んでみたら、想像していたよりもずっと繊細なその仕事に圧倒されて、なぜか涙がぽろぽろ溢れ出てきて止まらないんです、と。あのとき迷いがなかった訳ではないけれど。
 ああ、こういう仕事をしていてよかったなあと思える瞬間だった。

12月20日

 このスザニは私に、ウィリアム・モリスのテキスタイルを思い起こさせる。スザニのモチーフは貿易に深くかかわってきた。
 アレクサンダーの時代から、古代ギリシャの影響は中央アジアに広く及んで、シルクロード沿いのオアシス街で、刺繍の垂れ布にそのモチーフはたくさん見受けられるし、ついには明朝の焼き物にも見てとれる。 diary photo
 蔓のパターンは曲がりくねってボーダーを這い、まるでギリシャ世界の石の浮き彫りや、陶器やテキスタイルの、ブドウの渦巻きにそっくりだ。同じように地中海地方の植物モチーフで、古くから伝播しているのが団扇の形のヤシだ。
 他の花々、たとえばチューリップや野生のヒヤシンスなどはイズニックの皿の柄とは異なり、トルコの原産を示唆している。上下左右に配したフリルのあるカーネーションと呼ばれる花は、どちらかといえばザクロの花か、もしくは仏教の蓮の華を様式化させたものかもしれない。蓮の華は中央アジアがイスラムへ回心した数世紀のうちに忘れられていった。
 スザニ文様には、カシミールを通じて輸入されたムガール帝国時代のインドからの影響がひんぱんに見てとれる。じつに不思議なことに、これらのうちのいくつかのパターンは17世紀には西欧に向けて輸出されており、彼の地でふたたび華開く。
 モリスの生まれた英国で、それはジャコビアン刺繍の基礎となっていった。