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迷いがちなときはいつもこの言葉

 30年前のロンドン。アンティークマーケットを訪ね歩いた帰り道、小さなギャラリーにふらりと入った。百年も昔の古いものばかり見てきた目に、端正にしつらえた空間は新鮮だった。アンティークとは呼べないけれど今のものではない、10年、20年、30年と時を経た手しごとのリネンとシルバーを展示していた。
 自分と同じ時代を生きてきたものたちだと思うと親しみも増してくる。銀の靴べらを買った。ギャラリーのオーナーは決断の早さを讃えて ' You'll never get another chance like this.' とささやいた。まったく、迷いがちなときはいつもこの言葉を思い出して、飛び込む。  diary photo   
 包みを抱いたまま薄暗い明かりの下で、白地に白い糸で縫い取った刺繍のベッドリネンを飽きず眺めていると、それらはチャイナのスワトウで作られた刺繍で、その昔、香港からイギリスへ向けて運ばれて来たと教えてくれた。
 スワトウといえばハンカチしか知らなかった私に、熱心にその一つ一つの刺繍のテクニックを説明してくださる。糸の光沢や凹凸が織りなす光と陰の繊細な表現は甘いメレンゲ、花嫁のブーケ、薔薇や木蓮の花びらに宿る朝露にも似て…緻密な人の手しごと。そのありようは目に焼き付いたままだった。
 後に香港を訪れたときにつてをたどり、ロンドンで育てられた目で選んで、上手のものを買った。

4月10日

 80年代の東京台東区蔵前。問屋街にあるリボン屋さん「木馬」はスタイリスト時代の私にとってのワンダーランドだった。浅草橋の生地問屋でシーチングを買い、幅の広いグログランのリボンで飾り留めをこしらえ、木箱を白いペンキで塗って、ブリキ缶にデイジーの束を、なんていうアイデアは、私の十八番だった。  diary photo   
 リボンはミニマルに完結した織物である。甘くはない。そのお手本は映画「マイ•フェア•レディ」のオードリー•ペップバーンのストライプのリボンに尽きる。この映画ではイギリスの華麗なるファッション写真家セシル•ビートン(1904-1980)が美術と衣装デザインを担当していた。彼の作品集を穴のあくほど見つめて、他とは一線を画す結びかたを練習した。
 1990年の2月、フランスへ進出したMOKUBAのアーティスティックディレクター渡辺敬子さんは、そのときからスペシャルなリボンパッケージを年に2回ずつ、デザイナーやジャーナリストに送り続けておられる。私もその一人に選ばれた光栄をかみしめつつ、いつも箱を開けるたびに心ときめく。
 その後バルセロナやニューヨークにもお店ができて、今年もまた新作のリボンが送られてきた。40回目を記念した 'Lords of Linen' は、染め麻の配色が、ひとつづつ手で結ばれている。「世界中の創作意欲をかき立てるように」とメッセージが添えられて。

4月20日

 盆地の春はいったいに空気がかすんで、午後には夏の前触れの陽光が頭の天辺をじりじりと焦がすような日もある。強い光の土地に移動してきたときに、花なら牡丹、芍薬、あるいは大輪のバラ、それも暗がりに映える色を植えよう、とひらめいた。近所の桜並木や川のほとりは今、草花の春爛漫であるが、庭の3つの植木鉢に咲く牡丹は、まるで世界から隔絶されたような、孤高の趣がある。
 一つにはその花の大きさ。二つにはその色。ボルドー、コーラル、そしてオペラレッド、いずれも深い紅だ。花が咲いたらデッキへ持ってきて、朝に夕にそのこぼれるような美しさをほめちぎる。
 そして一年に一度、この開花期間は大輪の花が部屋のあちこちにちりばめられる。いつもは切り花のある部屋ではないから、バスルームのドアを開けた瞬間に驚いて、あっと思わず声が出る。洗面台の隅、あるいは窓の下の暗がりに、日避けの脇から漏れる光線が花びらを射てルビーのように輝き、内に秘めたパッションを放つ。
 朝にまだうずくまった花弁が夕方には紅の渦となる。開ききったら切り取って花瓶に挿す。控えている大きなつぼみは、翌朝にはもう開きはじめるので、次から次へと一輪ずつ摘んで、切り花は2日ともたない。挿しては枯れ、枯れては摘み、摘んでは挿す。すべてが咲き終えるまで繰り返す日々である。まるで花火。ひととき、ひときわゴージャスな雰囲気に包まれる。  diary photo
 この花は相次ぐ地震の衝撃で16日の翌日には枯れた。