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撫で回していたらあのときの
 これはおそらくフィニアルと呼ばれるカーテン棒の両端に付ける装飾だろう。日本の感覚では大きすぎるように見えるけれど、天井が3メートル以上もある西洋の石造り建築には、分厚いゴブラン織りのタピスリーや、どっしりと重い絹のタフタのドレープが吊るされて、このドングリを両端に留めることでバランスよく纏まる。
 これを見つけたのはパリ左岸のモンパルナスとラスパイユ通りの交差する辺りの路地にあった古道具屋だった。本来なら一対のはずが、ひとつしかなかった。階段脇のテーブルの上にちいさな彫刻のように鎮座していたのがぱっと目に止まって、ぱっと手に取って、ぱっと主人に差し出したら、ニコッと笑って、メルシ。diary photo
 ホテルへ持ち帰って、ロビーのソファで、待ちきれず袋から出して撫で回した。木をドングリの形に挽いて、ヘタの部分はまるで鳥の羽が折り重なるように一枚ずつカーブに添っている。浮き彫りにした細部のしごとが胸を打つ。
 台座をぐるぐるまわすとポロリと外れた。ヘタの下から螺旋に刻んだ棒が一体で現れて、それを台座の穴へねじ込む仕掛けになっていた。よくできているなあと感心してそっと包んで袋に戻した。
 ふと膝に載せて撫で回していたらあのときの arts, crafts and…life is so to say…座っていたソファのぬくもりを、お尻の下にふわっと感じた。

3月10日
 私の台所は大きな窓に向かって、ちょうど手を伸ばした場所に調味料や道具を横一列に並べて置いている。そこに最近、かくも素敵な箱が加わった。このごろの料理に最も頻度の高い菜切り包丁とペティナイフを、いつもすぐ手に取れるところに置いておきたい。それまでは元箱に入れて、引き出しの底に並べていた。
 刃物の収納は悩ましく、扉の裏側や専用スタンドなどは便利そうだけど、実際にはいまいち刃物に優しくない。長い経験で得た結論は、これがいちばんという方法はないってことか。そのときどきの自分の食生活と行動パターンに即して自然に流れるようなポジションを、切磋琢磨しながら編み出してゆかねばならない。diary photo
 最近行き着いたのは浅い木の箱。当りがやわらかで、ベッドのように休ませることができて、収まり良く、蓋も付いて…と、まずは典型を拵えてもらった。
 昔の上品な雛菓子などは、桐の箱にひとつづつ仕切られて、和三盆の花びらが色よく並べられ、蓋を開ければ、なんともいえぬ雅な雰囲気が漂ったものだ。丁寧な木の仕事は、輪郭も継ぎ目も、何もかもが柔らかくて、穏やかな気持ちになる。
 こういうのをいくつか、キッチンのカウンターに添って横に並べておいたら、茶の湯に習いすっすっと、使うたび、しまうたび心にかけて、包丁の幸せを考える。

3月20日
 去年の暮れのリタ(無患子)拾いは、その後も奇跡のような物語を紡いでいる。すっかりリタ仲間になったけんたろうさんとかおりさんと一緒に、ふたたびリタを拾いに行った。かおりさんたちが春からスタートアップさせる学校の子どもたちを集めて、私のリビングデザインスクールも試みようと、リタソープ作りをした。
diary photo  参加したとうごくんのお母さんの聖子さんが、後日、職場の敷地にあるのはもしや? と気がついて、リタの大きな樹が2本もあるという秘密の森に招いてくださった。長靴はいてバケツを下げて、着いたときには降り続いた雨もぴたりとやんだ。聖子さんの指差す彼方の大木は枝先にわずかに実を残していた。リタの落葉は黄金のクッションのように積もって、歩けば堅いものを長靴の底に感じる。葉を手で払うと下から半透明の殻に黒い種を包んだリタが現れた。ワイルドライフに親しむけんたろうさんは大きなバケツにいっぱい拾った。素晴らしい収獲力に感動したら「吹き寄せの堆いところを探すといっぱいありますよ」と。
 「熊本のリタは良く泡立って香りもいいね」と言ったらかおりさんが大きく頷いたので、あ、気がついてたのね。ちいさな学び舎は水辺に建っているので、そこでみんなが使う1年分の洗剤をリタで作る象徴的な意味もあったうえに、有り余るほどの収獲だったので、私の拾った小型バケツ一杯のリタはこの優美なひと枝とともに持ち帰った。