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心にジンとしみる味わいに
 むかし、京都の鞍馬に住む知人から、山椒の実とちりめんじゃこを炊いた「ちりめん山椒」をいただいた。うなぎの粉山椒しか知らなかった私は実山椒の味わいに目覚めた。以来、麓に山椒の実を摘みにいったり、実家の裏庭の山椒は雄株だったので新芽や花を摘んで、じゃこと炊き合わせて、山椒は季節の楽しみになった。
 震災のショックで木が枯れて、それがかなわなくなったので、山椒の4年樹を買って植木鉢で育てた。ひときわ香しい実をつけるのは朝倉山椒といわれ、木は雌雄同株だということも初めて知った。今年の春には掌一杯の実を採って塩漬けにした。 手塩に掛けるというけれど、半年ほどで心にジンとしみる味わいになるよう、実に密着した細かい軸を取るのに半日かかる。一粒二粒は難儀しても、続けているうちに実から完全に軸がはがれる瞬間に没入して、やがて小さな粒はだんだんと宝石のように思えてくる。
diary photo  今年は収穫の後に実をほんの少し枝に残したままにした。秋になって殻が堅くなり、色はエンジに変わってきた。それを摘んで干したら、ご覧のとおり。この殻を擦ると粉山椒なの? そう、うなぎ2回ぐらいはいけそうだな。使うたびに擦りたての香りは格別だって。来年は半分くらい秋まで枝に残しておいて収穫しよう。
 黒い粒は種、自然の織りなす絶妙な色やかたちのパターンには目を奪われる。
It’s sense of fineness moved me greatly. まるでインドの更紗を眺めるようだ。

10月10日
 今年のハラペニョ。鉢植えとはいえ3株のうち育った実はこの二つだけだった。ちょっと、なんなのよって感じもするが、こんな年もあるさ、ってあまりにも簡潔な句読点の付け方である。いくらハラペニョがメキシコ生まれとはいえ、いちだんと厳しくなった今年の熊本の夏の暑さには、堪え兼ねたのかもしれないと話した。diary photo
 左右対称に成った青い実はだんだんとルビー色に熟れてきて、さらに深いクリムゾンレーキ色になった。葉を落とせばウィッシュボーンの形した小枝の実はちいさくてわずかだからなおさら、心惹かれてそのまま窓辺に飾らずにはいられない。
 ぐっと近づくと宝石のような実は完璧なようで実はそこかしこに小さな皹のような傷がある。なんて可愛らしいのかしら、このままピアスにしたいくらい。これでも小さく刻んでトマトのサルサを作ったら結構いけるよ。なんならアヴォカドとニンニクとコリアンダーと一緒にすりつぶしてグアカモレにしてくれてもいい香りが立つよ。なんて贅沢、まるで王様の食卓みたいじゃないかとささやく。
 自然の引き起こす偶然には、はっとして、しばらくするとなんとも言えないあたたかなものがこみあげてきて、抱きしめたくなる風景がある。いつもだれかにこういうことを伝えるために、この小さきものたちは、この世に生まれてきたのではないかしら。

10月20日
 ついこの間まで、東京都美術館で「藤田嗣治展」が催されていた。続く上野の森美術館では、この秋から冬があけるまで「フェルメール展」が開かれている。
 今年は特別の秋だねと、数人の親しい東京人に、ねえ、ねえ、ぜひ観ておいでと唆した。そして必ずや図録を手に入れてと。図録はそのときだけの貴重な感動をひとり占めできる魔法の扉だから。そして昨日、私にも図録が送られてきた。まあ、すごい、尋常じゃなくきれいですね。言葉に尽くせない幸せ。とお礼を述べた。diary photo
 フェルメールの色使いのなかのブルーは日本では俗称フェルメール•ブルーと呼ばれるほどの人気である。フェルメール•ブルーって。それ、ラピスラズリのことかと苦笑する夫はかつて、フェルメールを一人で観るためにだけアムステルダムの国立美術館へ行ってきた。
 ほれ、と日本画の岩絵の具を出して持ってきた。え、この色がと口を開ける私。これに油やにかわを混ぜて調合すると深い色が出るんだよ。ラベルには天然本瑠璃(濃い口ラピスラズリ)とある。瑠璃鳥っているでしょ。色の呼び名って素敵ね。
 昔の映像だと思うけど、絵具師って呼ばれるおじいさんが木靴を履いてパイプくわえ、臼の中の石を杵で突いて砕いていた。画家の注文によって特別の細かさや調合をしてみたいだ。色はまるで贅沢な宝石のよう。