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土の家の中はまるで万華鏡
 冬の訪れ。朝の冷え込みに身が震え、凍ったように澄んだ夜空に心が震える。きらきらと瞬く光を見ていると遥か西方、インドの西北部グジャラート州の、かつてカッチ王国のあった砂漠を思い出す。
 まだ昔ながらの生活を営んでいる集落では土をこねてつくり、石灰で塗られた白い家々が、暮れなずむ砂原にポコポコと地面から飛び出た突起物のようで、SFの世界に紛れ込んだかに錯覚する。日差しの強い日中は、ターコイズブルーやエメラルドグリーンに彩られた木の扉は硬く閉ざされて、人は暗がりに息をひそめている。 diary photo
 とある一軒の住人の好意で中をのぞかせてもらった。驚いたことに小さな扉を開けたとたん、外光が部屋に侵入してくると、闇はたちまち光を拾い集めるようにきらきらと輝く。何だろうと目を凝らせば、壁じゅうに小さな鏡が埋め込んであり、周囲は文様が浮き彫りにされている。金属の調理器具や食器も光を反射して、土の家の中はまるで万華鏡だ。
 夜には外に出て星空をあおぎ、昼間も暗がりで星空の暮らし。この土地で、ハレの日に身につける衣服に、小さな鏡を縫い込んだミラーワークと呼ばれる手刺繍が生まれたのも不思議はない。
  不思議なのは星屑のように… little stars, diamonds and sands. 小さな無数の光が海を越えて空を渡り、遠く離れた場所で、どうしてこうも人の心を打つのか。

12月10日
 庭の落ち葉を掃いていたら、真っ赤なバラの花びらが冷たい風に吹き上げられてひらひらと、柵を越えて足下に舞い降りてきた。バラの花びらと紅葉した山桃の葉の入り混じった掃き寄せの一角は、そこだけが祝祭のような華やかさ、かじかむ手を休めてじっと見入ってしまう。どの季節よりもきれいだなあ、冬の吹き寄せ。 diary photo
 いつかジャンムー・カシミールのダル湖のほとりに滞在したときに、ホテルの敷地に咲き乱れるダリアの花びらを、芝生の隅に集めてあった。絵画のようで。
 誰? こんなすてきなことをしてくれちゃってと、見回せど姿は見えず、あたりは静けさにぼんやりとかすみ、ダル湖の湖面を朝霧が這う。滞在客が朝の散歩をするのを待っていたかのように、落ち葉の掃き寄せにそっと。これは演出なのか偶然なのか、演出ならばホテルのオーナーの美意識の高さに敬服し、偶然ならばその日そのとき、庭師の仕事の仕舞いかたがハッと息をのむほどに美しい。
 ああ、そうだった。あのホテルのオーナーのご先祖は、さかのぼること印象派の時代にヨーロッパで活躍した有名な肖像画家だったことを、つい最近知った。もう一度行きたいなあ。あの湖のほとりの白い瀟洒なホテルのロマンチックな庭。

12月20日
 クリスマスが近づくと心のどこかに楽器を携えているような気分になってくる。去年の今ごろはゲルギエフのコンサート会場にいたっけ。東京時代は友達に招待されてバレエを見に行ったり、オペラや室内楽へも連れて行ってもらった…遥か昔へさかのぼって中学生の頃、近くの教会で賛美歌を歌わせてもらったことも。
 そんな冬ごとの音楽は心の奥に大切にしまってあるはずなのに、ときどきメロディがついて出る。空気の澄んだ寒い日には、弦楽器の音色に震える。たとえば、先日も記したけれど、ジャンムー・カシミール州のスリナガルに、ヒマラヤと青い空を映し込むダル湖がある。 diary photo
 湖のほとりに陽が傾くころ、ひとり、また一人と楽器を手に手に人々が現れて、それぞれに持ってきた花をさした花瓶を囲んで、三々五々座り込む。だれからともなく楽器のチューニングが始まってしばらく経つと、それまでバラバラだった音色が、次第にまとまって美しいメロディに変わりゆく。あたかもヒマラヤから流れてきた川がダル湖に注ぎ込むように。
 初めて訪れたその地の人々がこうやって集まって伝統の音楽を奏でる場に遭遇した幸運を味わっていた。観光のためでも、お祭りの練習でもなさそう。普段の生活に演奏が組み込まれているとしか。まるで藩王の時代に連れてゆかれたような光景に呆然とたたずむばかり。