logo

人はときどき思いがけぬほど文学的な
 外では来る日も来る日も、ぎらつく太陽が灼熱の地獄の釜をたぎらせている。このごろの異常な暑さや豪雨や地震はどうしたことでしょうかと誰かがいった。どうもこうも人の力の及ばぬ自然の摂理なのでしょうねと私はいった。
 宇宙でのイベントが地球に影響して、ちいさな惑星のマグマもプレートも潮流も海面も、そしてそれを取り巻く大気も、すべてが活発になってきたのでしょうか。新たなフェーズに入ったのではとしか言いようがないこの頃ではありませんか。
 ほんのすぐそこへ出かけても、正面から襲ってくる熱気を吸い込まぬよう、息を詰めるようにして歩いて帰り、ドアを開けて、素早く後ろ手で閉めた。家の暗がりがこれほどに安堵するものだったろうかと改めて思う。 diary photo
 この間の豪雨のすぐ後に、このシャンデリという木綿の掛け布を希求した人から、届いてすぐに便りが来た。
 「布、繊細で美しくため息が出ますね。なんでこんなに心が動くのでしょう!」人はときどき思いがけぬほど文学的なフレーズが口を衝いて出るものなのだと私の心も動いた。心美しとはこういうことなのでしょう… savor from the bottom of my heart. エアコンの風にさえ、ゆらり翻るうす布の涼しげな舞い。私たちは今までより少し控えめに振る舞い、コトを起こすにも用心深く、静かな日々を重ねてゆきましょうか。

8月10日
 夜空にひときわ大きくぼっと浮かぶ赤い光を見た。さては飛行物体かと注目していたが、動く様子もない。惑星なのか、いやいや星にしては少し大きすぎるんじゃないかと訝りながら天文台の情報を検索してみると、私が知らなかっただけで世間ではずいぶん前から話題に上っていたようだ。
 この夏に地球に大接近する火星だとわかり、暴雨や猛暑もその影響かしらと、つい結びつけずにいられない。陽が落ちても摂氏32度あるが、夜空は澄みわたり、火星からゆっくり目を西に移して土星、そしてその西側に木星が瞬く。このときだけは空を身近に感じるというより、宇宙に包囲されたような威圧感に身震いした。diary photo
 机に向かって、むかしペーパーウエイトとして使っていたバカラのクリスタルをなにげなく眺めていた。なかで光が散らばっては集まり、縦横に配列を変えて、まるで星座のようにきらめく様子に、あれれ?といろいろ角度を変えて、ふと天井を見上げると、なあんだ、ダウンライトのLEDが映り込んでいた。手のひらにのせ、冷たいハートに熱を奪われる心地よさと、屈折率の高い、比重の大きい光学ガラスのような透明度に心模様まで透析されてしまいそう。
 宇宙人と接触してはいけないと警告したホーキング博士の遺言が思い浮かぶ。

8月20日
 窓の隅に月が顔を出したので、宇宙の旅人にちょっと挨拶でもとブラインドをあげて部屋の明かりを消した。夜になってもエアコンをつけたままのガラスの向こうは人影もなく、まだ外は摂氏32度を超える熱波の余韻が砂漠を思わせる。
 サファイヤ色の空、南南西上方に月は黄金色の美しい弧を描いて、まるでビザンチン美術を眺めるようだった。小さなイコンから宗教壁画まで、なにから何までかわいらしい表現に、私の目はいつしかビザンツ世界に支配されてしまった。
 その昔、ビザンチンの影響を受けたイスラム美術のモザイク画がトルコのイスタンブールにあると聞いて、トプカプ宮殿とブルーモスクを見に行った。若く何も知らぬまま、その真価の1/100も理解せず、さらに悔やまれるのは、数人で連れ立ってせわしなく、じっくり心ゆまで眺められなかったことだ。diary photo
 オスマントルコ帝国の時代には、コンスタンチノープルと呼ばれた美しいこの地は、西洋と東洋が出会うところだ。黒海とエーゲ海に挟まれた金の角の湾に架かるガラタ橋を渡ればアジア大陸に入る。最後の一歩で振り返って暮れなずむヨーロッパ大陸を眺めた。
 アジアに入って旅の宿から見上げた月も夢のようだった。そういえばトルコの国旗は月と星だなあ。どうしてバックは青い空じゃなくって赤い旗なのだろう。その旅の印象を記憶の底深く沈めて、このような金の細工を見るにつけ、さながら夜空の月と星は、私の宝石に対する原風景だったと気づく。