- 古生代アンモナイトそのままに
- 朝の冷気と昼間の戸惑うくらいの暖かさに…新しい芽が吹き出し花咲き誇る。めくるめく春に背を向けるかのように、わが身体はだるく眠くてしかたない。
そんなところに、考古学の高精度な測定法によって、スペイン北部の壁画が6万5千年前のものだとわかり、旧人類のネアンデルタール人がじつはアーティストだったというニュースが流れてきた。壁には赤い梯子と動物を象徴するような線画が描かれて、まるでホアン•ミロの世界ではないか。
このときまで、アートは新人類の特権であり、その最古の壁画が4万年くらい前だとされていたのに、さらに2万年以上も遡って。むむ。文明はめまぐるしく進歩するように映るけれど、人間の心は太古より此の方さして変わりないのかもしれず。
そして人間を特徴付ける要素として、美しいものを作ったり描いたりして愛好することが、つねに生活とともにあったことの証だ。
壁画に触発されて、壁に古いカンタを掛けてみたら、布を重ねて針でちくちくキルトした凹凸がさざ波を思わせるので、それを背景に貝を置いてみた。オウム貝の優美な曲線を指でなぞれば…be fascinated by paleontology and nature's design.
古生代アンモナイトそのままに今に現れたようなかたちは、身体の成長に応じて部屋を次々に追加してきたことを象物語る。新しい住まいは常に以前の部屋を6.5パーセント拡大した完全なるスケールモデルだという、なんともすてきな方法だ。 - 4月10日
- 騒がしい世を遠ざけて、静寂を深く味わいながら心を修復する方法を、このキャンドルは教えてくれる。滔々と流れゆく時のなかで知らぬ間に大切なことを見失わぬよう、騒がしさに微細まぎれてしまわぬよう。
逸る気持ちを抑え、芯をできる限り短く切って、灯す。そうすることでほのかに永遠のときを刻むように燃える。しばらく見つめていると、私の心の秒針は次第に燃焼の息づかいに同調して、光がわずかに膨らんだり縮んだりする様子が見て取れるようになる。
熱せられて溶けた蝋も、その縁を超えて溢れ出すことはなく、湛えて蒸発して、燃焼する。心満ち足りて灯を消す。今日はこれまでと。とても長い時間を過ごしたようでも、時計を見ると半時間しか過ぎていなかった。
そんなひとときを重ねつつ、芯が減るにつれ、周囲の壁は少しずつ内側から溶けてシェードのような役目を果たすまでに至る。最下層に炎を見る頃には、熱から遠い四方の角は玉蘭の花のように内へくるまって、透過光の花びらで炎を包み込む。あわや炎に被らんとすれば、その熱に溶け落ちて芯に吸われて気化して燃える。燃え尽き、一筋の煙を残し、蓮の花のような塊となる。
古来ミツバチが集めた蜜蝋の巣は、子育てが終わったお下がりを人が集めて灯火とした。然り。仄かな光は息を刻みながら太古の宇宙を奏でる。 - 4月20日
- 目を覚ませば、あたりは薄暗くひんやりした空気に包まれて、じっと耳を澄まして雨音を辿る。窓の外の気配をじんわり感じていたら、ギャッギャとけたたましい鳥の声が響く。恋歌かしらと想像たくましくして、まぶたを閉じれば、ラピスラズリ色のインド孔雀が鮮やかに光を反射する羽を広げる姿が浮かんできた。
むかし、友達がハワイの島に家を持っていて、毎朝庭先に孔雀が来るのよって話してくれた。その頃は動物園でしか見たことがなかったから、どんな状況なのか想像もつかなかったけれど、今ならつく。 インドへ足しげく通った頃、ラジャスタン辺りで常宿にしていたホテルでは、すぐ近くに孔雀がやってきていた。羽を折り畳んでいるときは茂みに紛れるほど地味ななりで、それと気づかないのだが、キオーンキオーンと鳴く声には驚かされる。
そして大きく羽を広げたまましずしずとこちらへ歩いてくる姿は豪華絢爛、レイバック•イナバウアーのポーズをしてみせる。暮れなずむ空のもと、中世の絵巻物のなかに迷い込んで、神様の使いに遭遇したかのように目を見張る。
ああ、やっぱり孔雀は特別なんだなあ、頭の冠から羽の先端まで光を纏って綺麗だ。ずっと昔からインドの人たちはそう感じていたから、このスパンコール細工と金糸銀糸刺繍のあるリボンのように、孔雀をモチーフにした装飾があるのだろう。