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夏のワンピースを仕立ててみたくなった
 日々温かくなってきたせいか、昨日まで使っていたコットンサテンのシーツがちょっと重たく感じられて、今朝は麻のシーツに取り替えた。ぱりっと乾いたシーツを広げて四隅を整えながら、その清潔な輝きにフレッシュな感覚を覚えるし、もう10年以上も前から触れ親しんできた肌触りにも安らぐ。
diary photo  リネンは自分の専門分野のように深く掘り下げて仕事をしてきたけれど、高品質のリネンは折り返しのところがすり切れるほどに使い込んでなお、その肌触りは驚いたことに、ますますとろりとゴージャスになってゆく。それは繊維が崩れて細くなってゆくためで、麻の生地をわざわざ棒でたたいていじめることで、つややかさとしなやかさを出す方法もある。深い。
 去年の夏、古いリネンのデュヴェカバーを解いて、レモンとソーダで洗って、アイロンをかけたら、夏のワンピースを仕立ててみたくなった。
 フランスへ行くと、アンティークの店では、昔の下着やワンピースを大切にとってあって、麻のシュミゼなどが夢のような光景でハンガーに吊るされて…まるでドガの絵に出てくるようなバレエのレッスン着などもある。現代はミシンでチャーッと縫える。dive into snowy white crisp linen …さてさて、サテンのシーツをたたんでしまう時、滑らかな肌触りが冬の肌を優しくもてなしてくれたと感謝する。

3月10日
 いうなれば春の季語、確定申告を終えて清々しながら帰る道すがら、くしゃみを数回して後悔した。雨が上がれば気もそぞろ、出がけに迷いを振り切って重い外套を脱いできたけれど、風の冷たさに思わず襟元のスカーフをかき寄せる。寒の戻りという言葉もあるように、春立つ頃の外出には用心要心。
 何も自分が外へ出かけることばかりとは限らない。新年度、新制度、新学期、新々ことごと浮き足立つような時期には、向こうから訪ねてくる契約ごとや誘いにもついつい考え無しに請合ってしまいがちだから用心要心。
diary photo このごろ、大切なことを決めたり返事したりするとき、「あたま」で反応するのをやめている。すぐに答えを出せないときは、ひと息いれてから、ちょっと「こころ」に聞いてみる。心は頭とは違って、目や口や鼻や耳の近くでなく、離れて身体の中心深くに位置しているために、反応までにちょっと時間がかかるし、わからないことはもっと多く時間がかかるけれど、体じゅうを巡りめぐって出てきた答えは揺るがない。
 いうなれば、ちいさな蒼いあたまの下に大きな紅いこころがある。それは自分の中心にあたる。いつでも尋ね処を忘れぬよう。心無い応えをしてしまわぬよう。
 春は胸に手を当てて少し深く掘り下げて考えてみたりして。

3月20日
 我が家のキッチンテーブルの上には、食事をしないときは何も載っていない。ふだんは亜麻色のクロスを掛けて、時々にプリント模様や織文様のあるナプキンを見立ててオーバーレイしておく。
 いつかインドからの来客があって、ペイズリーのプリント布を掛けていたら「おやまあ、すてき」と喜ばれた。モチーフはインドの伝統的な文様だけれど、ソレイアードという南仏プロバンスの木版だったので、微妙に洗練が漂うところが彼女の心を動かしたようだった。ちょっとしたことだけれど直接的な表現よりは、むしろ間接的な表現のほうに心惹かれることもある。diary photo
 この薄く透けそうな大理石の手水鉢はその典型だ。インドへ行くと大理石を削って作ったオブジェがたくさんあるが、どれも荒っぽい。蓮の花とかガネーシャとか、食傷気味になったところへきて、ついにこのように控えめなものにめぐりあった。
 これだからなにごともあきらめてはいけない。聞けば、この大理石は削り出した後に、女の人が手で磨いていたのだった。日がな一日。やさしくなでるようにして生まれた形は、まるで薄いベールに覆われているように見える。
 思わず引き寄せて、手でなぞりたくなるような。