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こんな性格だから花言葉は移り気とか
 雨の日にヤマアジサイの花が咲いた。盆栽好きには、日陰に咲いている、そそとした風情がたまらない魅力らしい。全体のブーケの縁がアクセントのヤマアジサイは山に咲く。図鑑によれば、四隅の花びらのように見える萼(がく・うてな)は、虫を誘うための装飾にすぎず、実をつけるのは内側に集合した小さな花とある。
 紫陽花という字のごとく、青、紫、赤紫といったように色が変化する。
diary photo 日本を離れて遠くフランスで見かける紫陽花などは、こぼれるような大輪のなかに黄緑から葡萄色、紫にかけて枯れたような色調が多く、ドライフラワーかと見まごうほどだ。花屋の軒先で確かめようと、思わず触れてみたくなるけれど、ドライブすると家々の庭に咲いているので、あらほんと、生花だわと。それはそれでシックですてきなんだけど、あまりの風情の違いに最初は戸惑う。
 紫陽花の色は、日本のような弱酸性土壌では青くなり、アルカリ性土壌では赤くなるらしい。こんな性格だから花言葉は移り気とか浮気とか高慢とか無情やらとろくでもないが、私は好きだな、むしろ臨機応変と言いたい。
 この花は日本の原産で、中国からヨーロッパへ渡り、盛んに品種改良されたものが逆輸入されて、色とりどりに、大輪小輪手鞠形らが日本の園芸店で花開く。
Trans the five continents, across the seven seas…古今東西七変化の花交易だ。

6月10日
 デッキの屋根を伝う雨の雫の、真珠がぽろぽろとこぼれ落ちるような連なりに見入っていた。真珠は6月の誕生石である。誕生石といっても、エメラルドやルビーのように光を反射して煌めく美しさではなく… むしろ有機物の、光を宿すようなやさしさが、とくに女の人に好まれる理由かもしれない。
 学生の頃、伊勢志摩の英虞湾を訪ねたときに、観光土産で買った真珠貝の、外側は醜いくらいの無骨な殻を開けて、内側をちょっと傾けてみたら、天の光を集めてきた虹のアウラが現れた。この貝にはただならぬものが宿っているにちがいない。
 そんな思い出を大切に仕事に精出す頃には、完璧な球体の養殖真珠を手にした。耳のピアスを保つよう加工してもらって、ずっと何年ものあいだ身につけてきた。
diary photo 今世紀になってインドで天然の真珠にめぐりあった。イラクのバスラ湾で採取された希少なものだから大切に、と手渡されたが、今はもうバスラで採取はしていないから、ずっと昔のものだ。
 海の底で真珠貝が気持ち良さそうにあくびをすると、貝殻に砂や異物が入ってしまって、それを真珠層と呼ばれる分泌物で覆ってしまう。そうやって生まれた天然の真珠はたいてい粒が小さくて、ひとつとして同じ大きさや色かたちはない。
 それぞれが光を包み込んで、周りの色に影響されながらも心地良さそうに細い糸に連なって肌に美しく映えるさまは、純で不滅な印象を宿している。

6月20日
 20世紀前の初頭、合理的な考え方をするようになった人々はコンパクトな家に惹かれるようになった。モダニズムの建築家ル・コルビュジエは海辺の小屋を造り、シャルロット・ペリアンはバラックのようなビーチハウスを設計した。百年周期で歴史は繰り返すというが、台風や地震や大雨の災害が頻繁になったこのごろ、コンパクトなだけでなく、さらに軽くてフレキシブルな構造がいいなあと切に思う。
 インドにラグジュアリーテントのリゾートホテルがあってそこに数日滞在したことがある。ひとつはグジャラート州の海辺、もうひとつはラジャスタンにあるジャングルのそば、つまり海と森の両方のテントの理想像を経験した。
diary photo
 とくに森のテントは現実味を帯びてきた。サイトを区画した数軒の敷地は通路と植え込みで囲い、敷地の中央にデッキをつくりテントを張る。広いベッドルームとシャワーとバスのある空間は、分割と補強をかねた柱とパネルで分つ。デッキは室内よりひと回り大きくて廻縁としてゆとりを醸し、庭は全面に砂利を敷きつめて。
 砂利を踏む音で外からの侵入者や野生の珍客を察知でき、柔らかなガードの役目を果たしている。さらに雨期にはこのテントは折り畳んで片付けるらしい。
 いいアイデアだなあと感心した。できることなら、ロケーションのいい海辺か山辺に小さな土地を借りて、こんなラグジュアリーテントを設営して暮らす夏の夢。