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コンセプトにマッチした工夫を凝らして
 ホテルのロビーや回廊で人と待ち合わせをしているとき、テーブルやニッチに飾られている花をゆっくり堪能する。普段はさして気にも留めないでつい通り過ぎてしまうから、時間を持て余しているときこそ絶好の鑑賞タイムである。「そうよ、こんなときこそ私たちの姿を隅々まで心ゆくまで眺めていらっしゃいな」と誘わんばかりに花は背筋を伸ばす。私も姿勢を正してそこにある花を正視した。
 そして、よく設計された色の取り合わせや配置を静かに深く観察する。diary photo
 ユリの花。今までは野に咲いて風に揺れているほうが、らしくてすてきと感じていた。ましてや白百合に勝る美しさが他にあるとは思いもよらず。
 砂漠を彷彿させる褐色の大理石の壁を背景に、さながらムガール様式のタペスリーのように構成されると、ピンクのユリの先入観が覆されて、都会的でクールな印象がきわだつ。
 おそらくこのホテル全体の花のアレンジメントは一人のアーティストが受け持つのだろうが、バンケットホールや卓上、窓辺、客室と、それぞれにさまざまにもてなしの花としての使命を果たすべく、ホテルのコンセプトにマッチした工夫を凝らしてある。まじまじと眺めるうちに、特別な空間には日常のあれやこれやとは別格の作家性が伺えて… noble, elegant, vital and rich. こういうの大事だなあ。

9月10日
 夏の盛りを過ぎて、秋の入り口のちょいとメランコリックな深い青に変わる空の高みを臨む。この季節になるといつも旅に出ていたので、心なし足もと軽い。diary photo
 旅先のホテルの庭にプールがあると、先にからだが反応して喜ぶ。部屋に服をかけてシャワーを浴びた後は、ホテル内を探検する道すがら、回廊のガラス越しにプールが見えるとまっしぐら。さすがに今はいきなり飛び込んだりはしないけれど。
 水辺にしゃがんで、手で水をすくって、指の間を揺らぎながら通過する水にたゆたえばふと思い出が浮かんでは消え、身近に迫ったり遠く離れたりしながら、あるいは瞬時だったり長い間持続したり、時はさざ波の五線譜を楽曲のように流れてゆく。
 遠い昔、小学校にプールが完成した夏休みは、ほぼ毎日泳ぎにいって、真っ黒に日に焼けて…。子どもは水に入ると夢中になってしまうから、先生が15分おきに笛を吹いて水から上がらせる。冷えて震えている子はいないか、浮かんでいるものはないか、底に沈んでいるものはないか、みんなしんと待ち、笛で一斉に水に飛び込む。帰り道、水の心地よさに飽き足らず、うちにもプールがあったらいいのに。
 プールサイドのデッキチェアに腰掛けて、そよ風に波立つ水面をじっと見つめているとやがて穏やかな気持ちになる。メディテーションには最高だ。

9月20日
 旅先の部屋に飾ってあった小さな鉄の動物。ホテルのベッドに寝そべってずーっと見つめていた。鴨居の上を行くのはロバ? ウシ? それともヤギ? オブジェって、解するあいだが楽しい。なんだか分からないけれど見方によってはいろんな風に見える。動物だって人間だって、幼い頃から大きくなって老いるまでにはずいぶんと体型も変わるものだから、あるものの、とある瞬間には、ロバともウシともヤギともおぼつかないこともあるやもしれない。
 これを誰かに見てもらってもやっぱり首を傾げて、そうねえ、ロバにも見えるけれど角があるよ? これって耳じゃないよね。なんだろ…好きなように見なされってこと。きっと作家にだけは作ろうとするものが、はっきりと見えていることだろうだから、やっぱりこういうかたちに見える生き物がいるんだろうな。
 ギャラリーあるいはアンティークショップにあっても、オブジェを前に長いこと佇み、腕を組んで首を傾げている人に遭遇することがある。ああやっているうちにやがて家に持ち帰って眺めていたくなってくるんだよ。自分もそうだから。diary photo
 今日の夕暮れどき、車を降りて帰る道すがら、ひゅっとここちよい風が首筋をなでて通り過ぎた。あ、もう秋の風。