- 新しい日々を生きてゆくわけで
- 今、ものを作っている人たちにめぐりあうと、以前とは明らかに目指す方向が変わってきたことを発見する。いったん廃れかけた先祖来の伝統を、自分たちの生活に取り入れられるものに置き換えて引き継ぐ世代がいる。古い設備も組み立て直して修理して再生復活させる知恵は広がる。あるいは今も生産を続けている老齢の職人の経験や蓄積を尊重して、希少なものを集めて遺してゆく努力もある。
かたやナノレベルの繊維を織る最先端の技術が新素材を開発して、厳しい環境においても人の生活を軽快にしてゆくプロジェクトを目の当たりにすれば、久々にエキサイティングという言葉がぴったりの躍動感に満ちた空気を感じる。
久々にと言ったのは、今世紀に入ってこのかた、各地で戦争は終わらないし、天災人災は年々頻発と範囲の拡大の途を辿っている。もちろん知らなかっただけで、情報がインターネットで即時に配信される今だから、世界の端っこに居ても遠くで起きたことに心が同期してしまうのかも。
それでもまた私たちは新しい日々を生きてゆくわけで、自分の身の回りを心地よい雰囲気に整えるツールを開発して… we launch out on the new project. 遠く離れた地の見知らぬ誰かの身の回りも、心地よい雰囲気に包まれてほしいと願う。 - 10月10日
- おととい、暦を見たら寒露とあった。二十四節気のひとつで太陽の黄経が195度に至るとき、昔の人はそろそろ露が冷たくなったわい、と襟かき寄せて。
八代の菓子匠を訪ねたおり、石を敷き詰めた庭に柿の実が点点と…おそらく渋柿の、枝にぶら下がるのに耐えきれないほど柔らかく熟して、あるいはカラスについばまれた拍子にぽとり落ちたか、夕日色の皮がつぶれて実は鮮やかに滴っていた。
連立つふたりは、実の話をしながら前をゆき、私は舞い落ちる葉を拾いながら追いついて、彼らの子どもたちにお土産にと、きれいどころを3枚厳選した。
紅と深緑の天然色素が織りなす斑模様は目が眩むほどにサイケデリックな効果を出している。2、3日経ったら、色は少しずつあせてきたけれど、今度は葉脈が浮き立ち河川さながらグーグルマップの航空写真で阿蘇の裾野を眺めているみたいだ。緑の高地と赤い大地。手のひらのミクロコスモスは拡大を続けてマクロコスモスへと…部分は全体に全体は部分に似て。
ときにサイケデリックアートって1960年代の流行だから、今は昔。それでもいきなりこれを見せられた子どもたちは、色に喚起されて興奮することだろう。 - 10月20日
- 秋の涼風の向きが変わった午後、雲行きが怪しくなってきたので、外に干していた唐辛子を家の中にしまった。次第に雨風が強くなってきたが、今回は台風19号の直撃を免れた。その行方を追いながら、時の経過とともに発表される爪痕の映像を見るにつけ、ただただ呆然とするばかり。
昨夜は多摩川沿いの宿に滞在していた友人から電話があった。もしもし、と発したら、ああ、この声が聞きたかったとため息をついた。台風大変だったね、と言うと、まあすごかった、窓の向こうは濁流が渦巻き、外に出るな、窓に近づくななどと、メールで友人たちに警告され、一夜明けたら下水汚水の逆流で、これがまた惨憺たるものでね…この数ヶ月、わが身に起きたいろんな出来事が台風の猛威とない交ぜになって…周囲に振り回されていた状況も、雨風がすぎるとともに一緒に過ぎ去って、大変なことには変わりないけれど新たな計画へと進み始めたと結んだ。
よかったね、楽しみにしてる。体に気をつけてね。
東京で、そして移転した熊本でも、クインテッセンスへの来客を縁に、震災のときは方々から心配して見舞ってくださり、その後に続く、日本や海外の各地で大雨や洪水や地震台風の知らせを受けたなら折りをみて、ずっと交信している。
昨晩は雷鳴轟き、一夜明ければ晴れ。目にも鮮やかな唐辛子を外に出した。