- 昼はお母さんに戻って一緒に
- 桜七分咲きの朝、ヒヨヒヨとさんざめく声に誘われて窓の下を見れば、近くの幼稚園児たちが行列をなして公園へゆく。みんな黄色い帽子を被り、日よけにくちばしのようなつばを後ろに垂れて、さながらカルガモのひなの大移動みたい。列の最後から先生が大きな乳母車のようなものを押してきた。よく見ればリヤカーに柵を付けて、中に幾人かの子どもが載せられている。
私はこのところ部屋にこもって、新生児の衣服のことを調べていたら、英語では生まれてから小学校へ上がる前の5、6年くらいの長い年月をナーセリーという。その間に児童を特別に保護しながらその成長を促すと訳すくだりを読んでいた。
かつてインドの更紗の会社を訪ねたときに、女性の働く理想的な環境を整えた会社があって、ナーセリーを完備し、昼はお母さんに戻って一緒にご飯を食べたり、授乳したりしに集まる。冷房は芝草をパッドにした壁に水を流して浸す、自然作用のちょうど良い涼しさだ。食べ物は敷地内の庭で育てた野菜や果樹でまかなっていると案内してくれた。
その慈しみに満ちた環境に、そうだよねえ、いつも苗を買いに行く温室の種苗園もナーセリーって言うものね、とみょうに感慨深く受け止めた。In the garden, they are still nursery …やっと春らしくなりました。 - 4月10日
- すぐそばを流れる小川の桜並木が今を盛りに咲き誇っていたが、おとといの真夜中、春の嵐に襲われ散りぬるを。朝の通り道すがら、橋の上から見下ろせば、老木の枝が枯れ落ちて流れを阻んでいる。そこへハラハラと花びらが淀み、雲のように覆ってゆれていた。水のなかに花見するとはこれも一興かとしばらく見入る。
そして、なるほどそういうことかと膝を打つ。
水盆に花びらを浮かべて愛でるのはインドではよく見かける光景だ。あちらは桜のような淡い趣きではなく、強烈なピンクのブーゲンビレアだったり、深紅のバラや、このようにオレンジ色のマリーゴールドだったりする。盆は小さいものなら回廊の柱下のうてなごとに、庭に出れば大理石の床に口を開けるように大きな水盤がすえられ、花びらの隙間に空を映し込む。
旅先で出会う花のあしらいは私を釘付けにする。ホテルやレストランのロビーで意表をつく歓迎に、あるいはテーブルや空間にもてなしの意を込めて、ときに密やかに飾られている。大きな枝ごと絢爛に、野の花を一握りの束にして、あるいは花首を一輪挿して、というのは西洋に多いけれど、花を摘み集めて束ねたりつなげたり散らしたり、捧げるようなあしらいに接すると、東洋だなあと感慨深い。 - 4月20日
- 牡丹の花が開くと地震の日を思い出す。あの日の朝、モーヴ色の牡丹を一輪、デッキに並んだ鉢から摘み取ってグラスに挿して、バスルームに飾った。ドアを開けて入るたびにむせるような香りが漂って、ゴージャスな気分に浸っていたその夜だった。もう3年も経ったんだね、つい昨日のことのような気がする。
熊本へ来たら庭に牡丹を育てようと以前から決めていた。動機はフランスの田園で古い農家を買い取って別荘にしていた家を借りて撮影をした昔に遡る。
母屋を入ると石の建物は初夏の日差しを遮断してほの暗く、小さな窓から差し込む明かりに目も慣れて、ようやく中央に大きな食卓の輪郭を覚えた。目を凝らせばモーヴの牡丹がひとつ、ふたつ、一輪挿して5つ並べてあった。ひっそりと色濃く潜むその光景は忘れがたく、まるで古典絵画を眺めるようだった。以来、強い日差しの注ぐころ、暗がりで匂い立つ牡丹は、心の中にエレガンスの象徴を刻む。
モーヴ、ワインレッド、コーラルレッドと3つの色を一輪ずつ、キッチンの窓辺に並べた。朝方の勢いは昼過ぎに満開になり、夕暮れにはしなだれて、次の日には輪郭が枯れ濃く縁取られる。牡丹のクライマックスはあっけないほど短い。さながら牡丹だね、と枯れた花を抜き取って捨てる。
そして若い花を植木鉢から摘んで …花見は続く。